今回の講義では、『煩悩』と『縁起』の関係性について講義します。
煩悩からの解放
たくさんの方からの悩み相談を受けていると、「縁起のことを理解すれば悩みは消えるのに」といつも考えてしまいます。
なぜならば「悩み」というものも、当事者が「存在している」と思っているから、あるように妄想しているだけのことだからです。(唯識を思い出せ!!)
愛もお金の価値も、「ある」と思っている人がいるからこそ「ある」のであり、仮にそれらが「ない」からといって悩む必要はないのです。
もちろん悩むことに全く意味がないとは断言しません。例えば自分で自分にプレッシャーをかけるために「お金がもっとほしい」などと「あえて」悩むのであれば、悩むことにも意味があるかもしれません。(仮観を思い出せ!)
しかし「ない」からといってガチで悩むのだとすれば、それは愚かなことだと断言してもいいでしょう。
とはいえ、そのように考え始めると「煩悩をもつこと自体に意味がないのではないか?」と悩んでしまう人が一定数存在するので、その点をクリアにしておきたいと思います。
煩悩と仏教
仏教の修行は煩悩を消すことが目的です。なぜ煩悩を消さなければいけないのかといえば、仏教では「罪」の源が煩悩であると考えられているからです。
もし煩悩がなければ、戒(仏教徒が守るべき行動規範)を守ることができ、涅槃(ねはん。永遠の死)にたどり着けるというわけです。
もしかしたらあなたは「仏教は涅槃(永遠の死)のためにあるの?天国にいくことが目的じゃないの?」と驚いたかもしれません。
そうなんです。仏教の目的は、煩悩を消し、輪廻転生から解脱し、涅槃に達することにあるのです。
以前、『車の譬(たと)え』について解説した時に、ミリンダ王とナーガセーナとの対話を一部紹介しましたが、他にもこんなやりとりがあります。

人間は、死後生まれ変わるのですか?

罪あるものは生まれ変わりますが、罪なき者は生まれ変わりませぬ。
ナーガセーナが主張していることは驚くべきことです。なぜならばナーガセーナの主張は裏を返せば、六道(ろくどう)を輪廻転生しているものは「罪ある者」といっているに等しいからです。
輪廻転生する6種類の世界のこと。天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。
もちろん六道には天上も含まれます。天上には梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)などの神も生活しているわけですから、「神にも罪がある」ということになります。
「え?神にも罪があるの?」と驚くかもしれませんが、仏教においては神よりも悟った人のほうが上位にいると考えられているのです。
わたしはこの理屈を聞いたとき、率直にこう思ってしまいました。「煩悩を消して涅槃(永遠の死)に達するよりは、少しぐらい罪を犯して輪廻転生したほうがいい」と。
煩悩とあなた
煩悩を消して涅槃に達するまでの理屈は、縁起を理解しているあなたもすでに理解しているはずです。しかし「頭で理解する」ことと「実践する」ことの間には、大きな隔たりがあります。
例えば自分の子どもを他人の子どもよりも愛するということも煩悩になります。あなたは煩悩を消すことができるでしょうか?
つまりわたしが主張したいことは、「煩悩は存在していい」ということです。そもそも人間は欲がないと死んでしまいます。食欲、睡眠欲等のDNAに書かれた欲求はとても大事なものですし、性欲がなければ人類は滅んでしまうでしょう。
そしてもしあなたが過剰な自己犠牲のもとに他人を幸せにしようとすれば、必ずどこかで無理が生じます。「他人を幸せにしたけど、自分は不幸せ」という状態には無理があることはあなたも同意してくれるはずです。
そんなわけで縁起を実践するあなたは、自分のやりたいことをやってください。自分がやりたいことを無理に我慢して生きなくてもいいのです。しかしだからといって「他人を犠牲にして自分だけが幸せになればいい」という発想ではいけません。縁起を実践する以上は、そのあたりのバランスを上手にとる必要があるのです。
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