「すべては仮説である」という仮観への理解を深めていただくために講義を続けているわけですが、今回は「映画」の話をします。
映画でコーチング
わたしは映画鑑賞が趣味であり、映画をコーチングにも利用しています。なぜならば映画作品は、言葉で伝えられないことを伝えるツールとして最適だからです。
そして実は……「仮観」の世界を体感する上でも映画鑑賞は最適なのです。そのことを説明するのは簡単です。
映画で仮観
映画館のスクリーンに近づくと、目に見えるのは一つ一つの光です。しかし光の集まりを一定の距離を置いて見ると「映像」になり、その映像はわたしたちの感情を揺さぶります。
つまり映画の世界は、一つ一つの光が創り出している幻なのです。幻である以上、映画はあくまでも「仮」のものなのです。映画鑑賞終了後に映画の話を友人や恋人とすれば、「映画が仮のもの」という考え方は、より強まるはずです。
例えば同じ映画を鑑賞しているはずなのに、印象に残ったシーンが人によって異なるということは珍しくありませんし、人によって映画のある場面の解釈が異なるのも珍しいことではありません。
つまりはこういうことです。もし映画の世界が「絶対的なもの」であれば、人によって解釈が異なるということは許されません。しかし現実にはそうではありません。つまり映画の世界は「仮説」なのです。
現実も仮説
現代人であるあなたであれば、ここまでの話は理解できるはずですが、もう一歩議論を進めましょう。
あなたは映画を鑑賞中に、手に汗握る展開に思わず冷や汗が出たり、心臓がドキドキしたりする、という経験をしたことがありませんか?
映画でそういう経験がなければ、小説でもいいし、ドラマでもかまいません。幻であり仮説であるはずの映画・小説・ドラマの世界が、まるでリアルな世界であるかのように感じたことがあるなら……映画以外の世界も「仮説」であるということに気づくことができるのではないでしょうか?
そう。映画・小説・ドラマの世界は仮観を体感するツールとして優れているわけですが、わたしたちが普段「絶対的なもの」であると疑わない「現実の世界」ですら「仮説」なのです。
映画館で映画を鑑賞中の人たちを観察すれば、同じ場に同じ映画を鑑賞しているにもかかわらず、映画に期待する役割が異なることに気づくはずです。
例えば、わたしのように「この映画、コーチングに利用できないかな?」という「仕事」の観点で映画を鑑賞している人もいれば、「この映画でお互いの距離を縮めたい」などと「恋愛」の観点で映画を鑑賞している人もいれば、単なる「暇つぶし」という人もいるかもしれません。
同様に五感で感じることのできる現実の世界に対するあなたのものの見方というものも「仮説」でしかなく、他の人は別の「仮説」をもっているかもしれないのです。
現象界の譬え
ある人は「夜遅くまで会社で残業しているときでも、SNSでつながっているだけで孤独が薄れる」と、わたしに教えてくれました。
つまり直接顔の見える範囲での人間関係だけが「リアル」であるというわけではないのです。そして以上のような説明が通じること自体が、現代人ならではの感覚であり、すなわち空であり仮観であることの何よりの証拠なのです。
現代文明が発達する以前には、映画も小説もドラマも一般的ではなかったので、空や仮観を体感してもらうだけでも一苦労でした。例えば大乗仏教の般若経典の1つ『金剛般若波羅蜜経』(こんごうはんにゃはらみつきょう)では、以下のような記述があります。
現象界というものは、星や、眼の翳(かげ)、灯し火や、露や、水沫(うたかた)や、夢や、電光や、雲のよう、そのようなものと、見るがよい。
金剛般若波羅蜜経
目の前の現実を「そのようなものとみるがよい」といわれたところで、「はい。そうですね。」とすぐさま実感できる天才は、当時の人々にはほとんどいなかったでしょう。
だからこそ現代文明以前には厳しい修行が必要とされたのであり、厳しい修行による疲労や空腹で幻想が見えたり、瞑想ジャンキーになってトリップした人だけが「たしかに現象界は夢や、電光や、雲のようなものなのだ!!」と確信を得ることができたのです。
しかし現代には小説もあれば映画もあればSNSもあればゲームもあります。ですから厳しい修行をしなくても悟ること自体はそれほど難しくないのです。
本当に大事なことは……あなたが悟ったあとに、あなたが誰のために何をするのか?ということを決めて行動することなのです。
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