整形外科クリニックの受付にたくさんの女性がいることに驚いた経験があります。顔を整形する理由はさまざまあるでしょうが、何かしらの不満があるから整形をするのでしょう。
例えば美人とそうでない女性では生涯年収が何千万円も違うという話を聞いたこともあります。とはいえ「何かしらの不満」を解消するために、整形をするのは正しいのでしょうか?というかそもそも「何かしらの不満」の原因は『顔』にあるのでしょうか?
ドライブ・マイ・カー
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
わかっているようで
ドライブ・マイ・カーに登場するのは「わかっているようでわかっていない男」です。奇しくも同じ役者、西島秀俊さんが演じる映画「クリーピー 偽りの隣人」に登場する主人公も「わかっているようでわかっていない男」でした。
「クリーピー 偽りの隣人」においては、犯罪心理学を教える立場でありながら、身近にいる奥さんが不満を抱えていることに気づかず、紆余曲折の末に「君のことを理解した」と奥さんに告白するも、本当にはわかっていないことを奥さんに瞬時に見破られる……という設定になっていました。
両方の映画ともに、美しい奥さんが何かしらの不満を抱えているという設定は一緒ですが、「クリーピー 偽りの隣人」に登場する美しい女性は「引越し」を、「ドライブ・マイ・カー」に登場する美しい女性は「不倫」を選びます。
自意識の上塗り
ドライブ・マイ・カーには、「わかっているようでわかっていない」人物が他にもたくさん登場します。
「自分が運転手として認められないのは若い女だから」「自分が母親を殺した」などと信じているドライバーの渡利みさき(役:三浦透子)もそうですし、「自分を隠し撮りする輩は、全員『パパラッチ』に違いない」と信じている元売れっ子若手俳優の高槻耕史(役:岡田将生)もそうです。
みんな他人からすれば「(真実であるか)よくわからない妄想」と断言してもいいような「自意識」を抱えています。もちろん「わかっているようでわかっていない男」の家福(役:西島秀俊)もよくわからない自意識を抱えています。
具体的には、家福の妻である音(役:霧島れいか)は平気で嘘をつく人間で、長年自分を裏切ってきた……と家福(役:西島秀俊)は信じています。もちろん「(真実であるか)よくわからない妄想」なのですが、本人はそのことに気づいていないのです。
自分がよくわからない妄想に囚われていたことに気づくのは、想定外の事件に遭遇し、実の娘のように信頼しているドライバーが「よくわからない妄想」に囚われていることは自覚し、まさに自分もそうなのではないか……と考えるチャンスに巡り合ったからです。
交換から贈与へ
もともと愛は交換ではなく贈与です。交換とは自動販売機の世界です。110円入れたら缶ジュースが出てくる……といったような短い時間間隔でのやり取りです。
一方で贈与はギフトです。ドイツ語でギフトには「毒」という意味があります。ギフトをもらうと「お返ししないと」という気持ちになるからです。
とはいえ贈与に対する贈与(お返しのこと。以下、対抗贈与)は、贈与してくれた人にもたらされるとは限りません。
自分が親にしてもらった恩を親に返せることもあれば、親にしてもらった恩を自分の子どもに返すという場合もあります。そう。社会は贈与と対抗贈与の連鎖で回っているのです。
自分を解放できるか?
現代社会は愛を「交換」の世界に閉じ込めています。「愛しているので結婚してください」などと主張できるのは交換の世界のなかの話だけです。愛は法律の決め事である結婚制度に囚われるほど小さなものではありません。
ドライブ・マイ・カーの主人公は「自分が愛だと思っていたもの」がそもそも「よくわからない妄想」であったことを悟り、奥さんがいなくなってから本当の愛に気づきます。そして「交換」の世界の外に出ることで「自分からの解放」に成功します。
おそらく「贈与」を受け取った人物は、他人に贈与する人間として生きるでしょう。なぜならば「自分を幸せにしてください!」と主張する『交換の世界の住人』から、「他人の幸せを自分の幸せ」として感じる『贈与の世界の住人』として生きるほうが楽しいからです。
他人にプレゼントを渡して、他人の喜んだ顔を見て自分も嬉しい気持ちになった経験のある人であれば、くどくどと説明しなくてもわかるでしょう。しかし……
あなたもわたしもきっと「よくわからない妄想」に囚われています。「自分は絶対に正しい」だなどと思い込んでいます。「よくわからない妄想」から目を覚ますことは可能でしょうか?可能なのだとすればどうすればいいのでしょうか?
ドライブ・マイ・カーにはたくさんのヒントが散らばっています。是非、鑑賞してください。
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