同調圧力への処方箋#3:準拠集団

前回の講義では「多元的所属」という概念について説明しましたが、所属する集団は必ずしも「リアル」である必要はありません。

ミスター偏差値

1990年代~2000年代にかけて「ゆとり教育」「脱偏差値」「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「生涯教育」などを推進した寺脇研氏は、「ミスター偏差値」「ミスター文部省」などの異名の持ち主です。

なぜ寺脇研氏は、文部官僚として改革を推進できたのでしょうか?

実は、寺脇研氏は映画評論家としての顔をもっていました。藤田敏八(ふじたとしや)監督『八月の濡れた砂』の評論を書いて「キネマ旬報」でデビューしたのは文部官僚になる5年前くらい。

つまり多元的所属によって、いつ文部官僚をやめても物書きとして食っていけるというポジションにいたからこそ、従来の官僚と比べると省内の慣習や省内文化の同調圧力から相対的に自由でいられたのです。

もちろん文部官僚になった当初は「エリートの世界に馴染めないから、自分の世界に閉じこもっているんだろう?」と揶揄されて「変な奴」扱いされていたそうです。

しかし時代は変わります。「俺は文部省だ!生徒は徹底的に管理しろ!」なんていっていたのに、1984~87年の中曾根内閣の臨教審答申が出た途端に方針がガラッと転換して、文部省の文化が終わり、権力も移動して、寺脇研氏の時代がやってきます。

「変な奴」扱いされていた寺脇研氏への評価が「お前はいいなぁ」に変化します。文部省がなくなろうが、新しくできる省に統合されようが、そういうこととは無関係に「自分は自分」でいられる状態は、同僚にとっては羨ましかったのでしょう。

準拠集団

所属する集団を複数もつことで、タコ足のように切っても切っても別の足があるので大丈夫、という状態を目指す「多元的所属」の話をしてきましたが、たくさんの所属先をすぐに見つけられるとは限りません。

そこで重要になるのが「準拠集団」という概念です。「準拠集団」というのは理念的な帰属対象のことです。寺脇研さんの所属先がサブカルチャー界隈であるのと同様に、あなたにも理念的な所属先があってもいいわけです。

たとえば安室奈美恵を模倣したファッションをする人たちを、かつて「アムラー」と呼んだ時代もありましたが、アーミッシュ文化や黒人文化に憧れるなら、それらを帰属対象として選択してもいいわけです。

準拠集団があることによって、自分が感じたり、判断したり、しゃべったり、振舞ったりするときに、どういう枠組みに準拠(リファー)するか選ぶことができます。そのことによって共同体の圧力のなかでも精神的な自由を獲得できるのです。

但し、注意が必要です。準拠集団であったはずのものが、共同体的な集団をつくって、結局のところ、「所属集団 ≒ 準拠集団」という図式の中に閉じこもるということが日本では珍しくありません。

寺脇研さんのような自由を獲得できるのは、「所属集団 ≠ 準拠集団」型の人間だけであることは忘れずに!

本職・副業

社会を観察すれば、寺脇研さんが経験したことを多くの人が経験する時代であることがわかります。

かつて副業に精を出す人は「本業で稼げないから副業なんてやっているんだろう?」と揶揄されました。

同様に、ブログに精を出す芸能人は「テレビに出れないからブログなんかやるんだろう?」と揶揄され、YouTubeに精を出す芸能人も「テレビに出れないからYouTubeなんかやるんだろう?」と揶揄されました。

しかし本業以外の収入をもつ人や、ブログやYouTubeで稼ぐ人への評価は「お前はいいなぁ」に逆転しました。

なぜいたるところで「お前はいいなぁ」といわれる人が増加したのかといえば……所属集団の流動性の急速な高まりによって、組織寿命自体が短くなり、自分が所属している集団自体がそもそもいつまであるかわからないという状況が日常になったからです。

大企業が傾く時代、テレビがオワコン化する状況では、ある日突然ハシゴを外されるなんてことが日常茶飯事だからこそ、多元的所属や準拠集団の重要性が増しているのです。

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