これから結婚するというのにマリッジブルーを隠さない女性にたくさん出会ってきました。彼女たちは口をそろえて「周囲のプレッシャーに負けた」とか「●●歳までに結婚がしたかった」とわたしに教えてくれました。
彼女たちは「そろそろ結婚するタイミングだから」というような理由で結婚していたのであって、そこに愛があったわけではないのです。まさに何かに『駆り立てられて』いたのです。
今回紹介する映画の登場人物たちも、全員が何かに『駆り立てられて』もがいて苦しんでいます。駆り立ての連鎖の先には何があるのでしょうか?
予告動画)愛しのアイリーン
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
駆り立ての連鎖
主人公の岩男は、「そろそろ跡継ぎを」という母親からのプレッシャーに駆り立てられて愛を探す旅に出かけます。
フィリピン人のアイリーンも、家族を貧困から助けたいという気持ちに駆り立てられて岩男との結婚を決断します。
岩男の母親も、アイリーンの母親も、岩男と不倫する女性も、アイリーンを連れ去ろうとする女衒(ぜげん)も、みんな何かに駆り立てられて行動しています。
駆り立てられた連鎖の先には何があるのかといえば「何も期待できない」のです。駆り立ての連鎖の先に何も期待できないことを理解することが「愛しのアイリーン」を理解するポイントになります。
贈与との遭遇
岩男は社会のなかで駆り立てられた存在です。社会のなかで駆り立ての連鎖に参加する岩男は、いわゆる『幸せになれない男』認定される3つの条件をすべて満たしています。
1つ目のポイントは、アイリーンの幸せを自分の幸せだと感じる感受性がないこと。
2つ目のポイントは、アイリーンとの「取引」が成立した瞬間に、女性を自分の所有物であると錯覚していること。
3つ目のポイントは、マザコンであること。母親に抱え込まれて育った岩男は、アイリーンに母親の役割を押し付けようとします。
岩男の頭のなかは「交換」でいっぱいです。だから結婚のために愛を探し、見つからないので愛をお金で「交換」しようとします。しかしお金で買えたと思った愛は(本物の)「愛」ではありませんでした。
しかし岩男は「愛」を発見します。いつ「愛」を発見したのかといえば、岩男もアイリーンも周囲の人間も全員が「交換」とは別のロジックである「駆り立ての連鎖」に参加している弱い存在であることを知ったときです。
ギフトは毒
ドイツ語のギフトには「毒」という意味があります。なぜギフトが毒なのかといえば、プレゼントをもらうと「何かをお返ししなくては」というような後ろめたい気持ちが生まれるからです。
この後ろめたい気持ちを生じさせるものが、「駆り立ての連鎖」であり「贈与」そのものなのです。交換と贈与の差はどこにあるのでしょうか?交換は双方向であるのに対し、贈与は一方通行です。
贈与というものは一方通行であるがゆえに、「何かをお返ししなくては」という気持ちを解毒することができず、毒に侵されたら誰もが駆り立ての連鎖に参加せざるを得なくなってしまうのです。
駆り立ての連鎖においては「交換」を期待することができません。岩男はアイリーンと結婚するために300万円払ったけれど、アイリーンから愛されるようになったわけではありません。しかし岩男とアイリーンが駆り立ての連鎖に参加するうちに、不思議なことに「愛」が生まれるのです。
一般的に愛といわれているもの(交換としての愛)が、「愛」(贈与としての愛)ではないということを思い知らされる強烈な体験をしたい方は、「愛しのアイリーン」を鑑賞してください。
■ 社会を学べる映画集