自分たちを創り出す方法

現代社会は複雑です。あまりにも複雑です。

「世界のどこかで」どころか「自分の近所に住む人たち」が、困難にぶち当たって深刻な悩みを抱えていても、気づかないかもしれません。わたしたちはそんな複雑すぎる時代を生きています。

哲学者の國分功一郎(東京大学大学院総合文化研究科准教授)は、陰謀論者の存在を「複雑な社会に対するアンチテーゼ」ではないかと主張しています。

要するに複雑なことはわからないから「地球は平ら」だとか、「コロナウイルスは陰謀だ」と声高に叫ぶ人たちがあふれるようになったのだというのです。

陰謀論者を「アタマのオカシイ人たち」と一蹴することは簡単です。しかしわたしたちが「どうしたらよいのでしょうか?」と質問したくなるのも、現代社会があまりにも複雑だからです。

「どうしたらよいのでしょうか?」と頭を抱えている時に、「こうすればいい」とか「俺についてこい!」と力強く断言されたら・・・あなたはその魅力的な提案を断ることができるでしょうか?

「鶏と卵」問題

マックス・ヴェーバーの議論を理解したあなたは、日本全体の救国がほぼ不可能であることを理解したはずです。

理由は「鶏と卵」問題です。健全な社会の創出には健全な市民の創出が必要ですが、健全な市民の創出には健全な社会が必要です。

しかしもし現在の日本社会が不健全なのであれば、不健全な社会のなかから健全な市民を創出しなければならず、それはやっぱりムズカシイことなのではないでしょうか?

もちろん不健全な日本社会から健全な市民を創出することが困難なのであれば、もっと小さな社会の単位でそれを実現するという解決策もあり得ます。

例えば日本の歴史を振り返れば、江戸時代には二百数十の藩があり、藩はそれぞれ独立採算制でなんとかやっていたという実績もあります。

しかしわたしがお伝えしたいのは「社会を変える」という壮大な話よりはむしろ、「あなたを変える」という現実的な話なのです。社会を変えるよりもあなたを変えるほうがずっと簡単ですし現実的です。

だからわたしは「コーチングの理論」や、自己救済の哲学でありながら集団救済の可能性を秘めている「アドラーの思想」などを、あなたに解説しているのですが、それらだけに頼るつもりはありません。

実は・・・古来から「自分たちを創り出す方法」というものはいろいろ工夫されてきた歴史があるのです。

感染的模倣

初期ギリシャでは感染的模倣(ミメーシス)が推奨されてきました。感染的模倣とは<スゴイ奴への感染>です。なぜ<スゴイ奴への感染>が必要なのか?

それは当時の戦いが、重装歩兵が斬り合うものだったからです。誰だって死ぬかもしれない戦いに参加すれば恐怖に囚われます。しかし恐怖に囚われていてはパフォーマンスを発揮できません。

そこで恐怖に打ち勝つために、<スゴイ奴への感染>が推奨されたのです。ヤクザが組長についていく、暴走族が総長についていく、というイメージでしょうか。

しかし感染的模倣(ミメーシス)も廃れます。なぜならば感染的模倣を可能にする前提条件だった『共同身体性』が、貨幣経済の浸透にともなう階層分化や身分的混乱で空洞化したからです。

誰が味方で誰が敵かハッキリ断言できないような状況では感染的模倣(ミメーシス)は発揮されないのです。

「感染的模倣(ミメーシス)を推奨するだけでは、身の回りの人たちを戦いから救えないかもしれない」という状況に置かれた偉大な哲学者・プラトンは、感染的模倣(ミメーシス)に加えて別の価値観も推奨するようになります。それは・・・

自己陶冶

プラトンが提示した解決策はズバリ・・・「自己陶冶」(じことうや)です。自己陶冶とは、弱気になりがちな自分たちを相互に超克(ちょうこく:困難を乗り越えること)することです。

自己陶冶というドイツ語の日本語訳は「教養」です。つまり教養を深めて「自分の常識」を破壊することで、「自分の殻をやぶる」ことを狙うわけです。

例えば以前、多重債務で苦しんでいるのに「借りたお金は返さないとダメ。絶対。」と考えていた田中さん(仮名)は、お金が誕生するカラクリを理解してすぐに「任意整理」に踏み切りました。

なぜ多重債務で苦しんでいた田中さん(仮名)がすぐに行動を変えたのかといえば、「そもそも自分は、お金を借りていたのではない」ということに気づくことができたからです。(参考:経済の世界

ほんの少しの気づきが人生を変えるということは本当にあるのです。

事実、もし田中さん(仮名)がお金のカラクリを知らなければ、サラ金などで本当にお金を「借りて」しまって、もっと悲惨なことになっていたかもしれないのです。

もちろん「ほんの少しの気づき」を得るという体験は、「衝撃を受ける」という体験に比べれば弱いです。

しかし「ほんの少しの気づき」もちりも積もれば山となるのです。「ほんの少しの気づき」は、少しずつしかし確実に、あなたの殻をやぶるはずです。

あなたが感染の起点になる

わたしは自分の殻をやぶって、他人であるあなたに影響を与えようとしています。同様に、あなたもあなたの殻をやぶった後は、あなた自身が周囲の人たちに影響を与える存在になってほしいのです。

わたしの願いは、あなた自身に感染的模倣(ミメーシス)のきっかけになる<スゴイ奴>になってもらうことです。わたし一人では社会は変わりません。しかしあなたが変わり、あなたの周囲の人間が変わり、そのまた周囲の人間が感染を広げれば、社会はきっとよくなるはずです。

なお感染的模倣(ミメーシス)については、『進化』のカテゴリーのなかで『名状しがたいもの』という表現を用いて詳しく解説しています。ぜひ参考にしてください。

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