いわゆるモリカケ問題で、公文書の改ざんを強いられ自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54歳)の妻赤木雅子さんは、財務省関係者から「あなたの旦那さんは、財務省を救った」といわれたそうです。
要するに「財務省のために死人に口なしを選んだあなたの旦那は立派!」といっているのですが、このような感覚は日本では珍しくありません。
生きづらさの正体
欧米なら会社に法律違反を命じられたら、組織を離れるか内部告発するでしょう。しかし日本人の場合は組織を離れず、内部告発もしないのです。なぜならば内部告発をすればすぐに犯人探しがはじまり「バレてしまうから」です。
たとえば「日本郵政恫喝事件」や「山口健太布勢町税徴収ミス事件」が有名ですが、内部告発した人間が不利益を被って、不正に手を染めた人間が出世するのが日本の実情です。
そう。日本には共同体を超えた「正」や「義」がないのです。そこに「生きづらさ」の正体があります。
なぜならば自分の信念や行動を共同体が承認してくれない場合、「自分が自分でいられるようにする」という状態を保つことができず、常に共同体からの同調圧力に脅かされるからです。
日本人なら誰もが身に染みて知っているように、日本における同調圧力は強烈です。
共同体内部の規範に従うことは、「仲間を守るため」という名目で共同体外部の人間を差別することにつながるだけでなく、「仲間を守るため」という名目で共同体内部の個人を見捨てる態度につながります。
その一方で、欧米では日本ほど同調圧力は強烈ではありません。なぜなのでしょうか?
戒律の否定
前回の講義では「隣人愛」について説明しましたが、別の角度から見直してみましょう。
実は……キリスト教のイエスも、現在の日本と同様の問題に直面していました。ユダヤ共同体が、階層分化や異邦人混在によって、複雑になっていたからです。
複雑になる社会情勢のなかで、イエスは共同体内部における「戒律の否定」を主張します。イエスが戒律の否定をするロジックはシンプルです。
もし戒律を守った人間だけが救われるのであれば、戒律を守る余裕のある金持ちや暇人だけが救われることになります。
つまり生まれた時から恵まれた人間すなわち「はじめから救われた人間」だけが救われるというトートロジー(同語反復・同義語反復)になってしまうわけです。
しかし全能のヤハウェ(ユダヤ教の神)がそのような不条理を許容するはずがないとイエスは語ります。ゆえにユダヤの民とヤハウェ(ユダヤ教の神)との契約は改められたのだと、イエスは宣言するわけです。
すなわちユダヤ民族(ユダヤ人)であることと、ユダヤ教の戒律(神との契約)を守ることと、ヤハウェ(ユダヤ教の神)に救済されることの自明な一致を信じることが不可能な状況を打開する突破として、イエスは「戒律の否定」を主張したのです。
イエスが「戒律否定」や「隣人愛」を宣言した背景にある社会の複雑さは、今の日本では解消されるどころか進行しているはずです。
正当な差別の中身
ユダヤ共同体が一枚岩だと信じられた時代が終わり、急速な階層分化と多様性が生じてきたところにイエスの教説が意味をもったのだとすれば、現代日本においてもイエスの教説は意味をもつはずです。
「ユダヤ」を「日本」に置き換えてみると……日本人が一枚岩だと信じられた時代(一億総中流)が終わり、上流国民とそれ以外の国民との格差が広がり、多様性が生じてきた……となれば、日本でも何かしらの手当てが必要であることは明らかでしょう。
たとえばLGBT問題。2021年に超党派の国会議員連盟で「LGBT理解増進法案」が合意され、法整備の機運が高まりました。
ところが、その後の自民党内の議論で、法案にある「差別は許されない」という文言に自民党の一部議員が大反発。「差別は許されない」ではなく、「不当な差別は許されない」に文言を変更しろと要求したのだとか。
つまり自民党の一部議員は「正当な差別は許されるが、不当な差別は許されない」と主張しているわけです。「正当な差別」とは一体なんでしょうか?
また東京大学に合格した学生の親たちの年収を調査すると、1,000万円を超えている層がもっとも多いそうです。
日本で幸せになる条件が「いい学校、いい会社、いい人生」であり、いい学校にいけるための条件が「親の年収」なのだとすれば、受験にお金を回す余裕のある金持ちや暇人だけが幸せになれることになります。
イエスはこのような不条理を打開するロジックをもっていましたが、現代日本では「親ガチャ」という言葉に代表されるように、「運が悪ければ諦めろ」というような論理だけが蔓延しています。
「運が悪ければ諦めろ」という論理を突き詰めた先にあるのがLGBTに対する自民党の受け止め方なのではないでしょうか?要するに「LGBTに生まれたのなら諦めろ」というわけです。
救済から抑圧の隠蔽へ
1974年に400人近い死傷者を出した三菱重工爆破事件の犯行グループ、東アジア反日武装戦線<狼>は、日本の労働組合運動を批判しました。
<狼>が日本の労働組合運動を否定したロジックはシンプルです。日本の労働組合運動は、「第三世界の搾取を強化するエゴに過ぎない」というのです。
そして1980年に入ると、同様の理屈がフェミニズム界隈で主張されるようになりました。またしてもロジックはシンプルです。
先進国で男女平等化するとは、結局のところ女の生活水準を男に合わせて上昇させる「男並み化」だから、第三世界に対する搾取を強化することになるのではないか?というわけです。
「革命に成功すれば、労働者は救われる」とか、「差別撤廃に成功すれば、女性は救われる」というロジックが疑われる理由は、もうあなたなら理解できるはずです。
復習すると……「戒律遵守に成功すれば、その人は救われる」というユダヤ的ロジックに対して、イエスは「一体誰が戒律遵守に成功できるのか?」と考察した結果、救済を意味するものから抑圧の隠蔽を意味するものへの反転を危惧していた……のでしたよね?
たしかに革命に成功すれば救われる労働者はいるかもしれないし、差別撤廃に成功すれば救われる女性もいるかもしれません。しかし革命に成功できる労働者や、差別撤廃できる女性は、一体誰なのでしょうか?
わたしたちの主観において「戒律遵守」や「差別撤廃」はいいことなのかもしれませんが、「●●すれば大丈夫」と断言できるほど社会は単純ではないのです。
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