自我の働きは情動記憶に強い影響を受けているという話をしました。とても重要なことなのですが、見過ごしてしまいがちなので、繰り返し解説する価値があります。
知らないことは認識できない
もうかなり昔のことですが、私が六本木の交差点で信号待ちをしているとき、一緒にいた友人に「Uber Eats知ってる?」と質問したところ、友人の答えは「なにそれ?」でした。
私は交差点で信号待ちをしているUber Eats配達員を指さして「アレのことだよ」と教えてあげたところ、たくさんのUber Eats配達員がいることに友人は驚いていました。
そう。人間は知らないことは認識できないのです。たくさんのUber Eats配達員が目の前にいたとしても、知らない人の視界には入らないのです。
「あの人は過去に生きている」というとき、一般的には「過去の栄光にしがみついて生きている」という風に解釈されますが、私たちが認識している目の前の現実というものは本当に過去の記憶がつくっているのです。
「目の前の現実は過去の記憶から成り立っている」という事実を受け入れると、ものすごい事実に気づきます。そう。私たちは周囲の人間を「過去」によって判断しているし、自分という存在すら「過去」によって判断しているのです。
分裂勘違い君劇場
「分裂勘違い君劇場」というブログを運営している「ふろむだ」氏の著書に、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という一冊があります。
この一冊は、「なんであんな奴が評価されるんだ?」という謎にせまっているのですが、中身を読まなくてもあなたはその謎の答えに気づくことができるはずです。
「アイツはできる」という評判を勝ち取った人間は、「アイツは次もやってくれるだろう」と判断される可能性が高いので、有利な条件で勝負ができます。そのため本当に結果を出す可能性が高いのです。
逆に「アイツはできない」というレッテルを貼られてしまった人間は、「アイツにチャンスをあげてもムダ」と判断される可能性が高いので、勝負をする以前にチャンスすら与えられないことだって珍しくありません。
あなたの評価は?
あなたの現在における周囲からの評価は高いでしょうか?低いでしょうか?
あなたの周囲からの評価が高くても低くても、「もっと高い評価」を勝ち取るのは難しいかもしれません。なぜならば周囲が過去の実績からあなたを評価する以上、あなたは常に過小評価される運命にあるからです。
わたしが中学1年生のとき、はじめて受験した模試の結果は偏差値37でした。もしその時、私が「偏差値70の高校に行きたい」といえば、学校の先生は「ちょっと難しい」とアドバイスするどころか「無視」したでしょう。
模試の結果は「過去」のものです。受験当日の偏差値は測定しようがないし、受験当日に出題される問題が、過去に出題されてきた問題の傾向に合致するかどうかだって本当のところはよくわからないのに、私たちは素直に「偏差値教育」を受け入れています。
つきまとう「過去」
過去に囚われる生活は社会人になっても続きます。例えば東大生。東大生は「東大生なんだからもっとやれる」という言葉にうんざりしているそうです。
なお女性の東大卒となれば悩みはもっと深くなります。「東大生なんだから優秀で当たり前」という周囲の評価をキープしながらも、「出る杭は打たれる」という風潮と闘わなくてはいけないからです。(参考:東大を出たあの子は幸せになったのか~「頭のいい女子」のその後を追った)
どうすればわたしたちは、過去の呪縛から自由になれるのでしょうか?
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