「絶対的なものなどなく、すべては仮説である」というようにいわれても、違和感を感じる最大の理由の一つは学校教育にあると思います。
学校の教師も生徒もほとんど全員が、「学問は真理を追究するものである」という前提を無意識に信じているため、学問的な発見が「絶対的な真実」であると盲目的に受け入れてしまうのです。
前回の講義では「ビーカーに入っているお湯の温度を測る」という理科の授業の一コマを紹介し仮観(けがん)の世界の一端に触れましたが、今回は数学の観点から仮観(けがん)の世界に触れたいと思います。
ユークリッドの公理
ユークリッドの公理は5つあります。
- 二点を結ぶ直線はただ一本のみ
- 任意の線分は延長できる
- 円は任意の点と任意の半径で作図できる
- すべての直角は等しい
- 一直線が他の二直線と交わってできる角のうち、同じ側にある二つの内角の和が二直角より小さければ、この二直線を限りなく延長するとついには交わる
ユークリッドの5つの公理のうち、1~4は小学生でもすぐに理解できると思いますが、5つ目の公理はずいぶんわかりにくい……と誰もが思うはずです。
5つ目の公理は「直線外の一点を通って、その直線に平行な直線はただ1本しかない」という表現に置き換えられて現代に伝わっているのですが、それでもわかりづらいと思うのはわたしだけではないでしょう。
実際に数学者も「なぜ?5つ目の公理だけが複雑なんだろうか?」という疑問をもってきました。そこで数多くの数学者が「第五定理は不必要なんじゃないだろうか?1~4までの公理で5つ目の公理を証明できるのではないだろうか?」と仮説を立てたのです。
残念ながら……めぼしい結果がでないまま時が過ぎていったのですが、ロシアの大数学者、ロバチェフスキー(1792年~1856年)が大発見をしました。それは驚くべき事実でした。
非ユークリッド幾何学
ロバチェフスキーは「背理法」によって、第五定理が本当に必要なのかを見極めようとしました。具体的には、「第五定理を否定して幾何学をゼロから構築したらどうなるだろうか?」と考えたのです。
もし本当に第五定理がユークリッド幾何学に不可欠なのであれば、幾何学を構築する過程のどこかで矛盾に突き当たるはずであり、「第五定理は必要不可欠」という結論が得られるわけです。
ところが……いくら考え進めても全く矛盾が生まれることなく、一つの体系が出来上がってしまったのです。そう。その体系こそが「非ユークリッド幾何学」といわれるものです。
ロバチェフスキーの発見は、科学者にとって一大事でした。なぜならばそれまでは「自明の理」と思われていた「公理」ですら、実は真理でもなんでもなく……「一つの仮定」であることが明らかになってしまったからです。
現代人たる資格
今この瞬間も、「一つの仮定である学問」を勉強している人はたくさんいると思います。しかしほとんどの人が残念ながら……「その学問を勉強すれば真理に近づける」と誤解しているのです。
唯一確かなことは、慣性の法則も、運動の法則も、作用反作用の法則といった物理学の法則や、ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学といった数学の公理も、その他あらゆる学問もすべては「一つの仮説」であるという事実だけです。
だから真理に近づきたければ、一つの学問の世界に閉じこもっている場合ではないのです。いろんな学問の世界に時間のあるかぎり触れ、「この学問(仮説)をどうにかして、実生活に生かせないだろうか?」と考え続ける人だけが、本当の意味で「現代人」を名乗る資格があるのです。
しかし残念ながら現在の日本においては、いわゆる「優等生」(や優等生になりたい人)ほど、そういう現実に気づかないまま大人になり、そのまま生涯を終えるように「設計」されていると思います。
なぜ?「すべては仮説である」という発想を隠し続けるのかというと……という話をするとそれはそれで面白いのですが、本題から脱線して戻れなくなってしまいますので、このあたりで今回の講義を終わりにします。
次回も仮観の世界に別の観点から触れてもらう予定です。お楽しみに!
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