わたしが外資系コンサルティング株式会社に勤めていた時、野心をもつ社員のなかにはアメリカの大学のMBAを目指す人が少なくありませんでした。なぜなら、外資系企業の場合、MBAを取得していなければ管理職になるのが難しいからです。
「仕事ができることとMBA(経営学修士)を取得することにほとんど関連性がないじゃないか?」と日本人なら考えるかもしれません。しかし欧米の人は日本人のようには考えないのです。
なぜならば大学院こそが「高等教育」というのが欧米の常識だからです。しかし日本ではそのような認識はありません。なぜならば・・・
日本人が見落としたもの
現在の6・3・3・4制は、昭和22年にアメリカから教育制度を輸入した時の産物であることはすでに解説しました。実はこの時、日本人はもっとも重要なものを忘れてしまったのです。それは大学院です。
実はアメリカでは6・3・3・4制の上に、大学院が高等教育として明確に位置づけられていたのです。しかしあろうことに日本人はこのことを見落としたのです。そのため例えば当時の東大法学部では、優秀な学生を大学院に入れないで、いきなり助手にしてしまうということがよくあったそうです。
つまり当時の東京大学法学部にとって、大学院は必須の存在ではなかったのです。この傾向は現代になっても引き継がれています。日本人は「どの大学を卒業するか?」ということに興味はあるけれど、その意味はあくまでも「学部卒」という意味であって、「どこの大学院を卒業するか?」を気にしている学生はほとんどいないのではないでしょうか?
日本人は大学を「最高学府」なんて呼んで高等教育の機関とする意識が強いし、日本銀行総裁なども「東京大学卒業」(つまり学部卒)というケースが多いけれど、欧米の国では、中央銀行の総裁クラスであれば「修士号」を取得しているのが当たり前なのです。
輸入するだけでは使えない
実は「大学入学共通テスト」のもとになった「共通一次学力試験」もドイツから輸入したものです。ドイツでは高等学校を卒業すると、アビトゥーアという大学入学試験を受け、合格したものが大学入試を許可される仕組みになっています。
そもそもアビトゥーアは「足きり試験」としての役割があったわけですが、日本の「共通一次学力試験」は「足きり試験」という役割よりは、どちらかといえば「学習の達成度を判定することを目的とした試験」になっています。
以上、6・3・3・4制にせよ、アビトゥーアにせよ、外国でつくられた理論とか規範を借りてきて、それを日本に当てはめれば何かが変わるはず、と信じるのが日本人の発想であり、日本独自の社会を社会科学的に分析し、学問によって制御するという発想がまるでないのです。
日本という国は、キリスト教やイスラム教にせよ、ビジネス戦略にせよ、マーケティング戦略にせよ、コーチング理論にせよ、料理にせよ、日本に輸入されると、オリジナルとは異なる別のものに変化することが珍しくありません。
そのため「よかれ」と思って日本に輸入したものが、逆効果になることがあるのです。
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