人生を変えたいなら・・・
行動あるのみです。しかし・・・少なくない人たちが、行動することなく新しいアドバイスを求めます。なぜでしょうか?
批評の神様
批評の神様、文学の教祖、読書の達人と呼ばれている『小林秀雄』の指摘には、ドキッとする人が多いはず。
どんな助言も人に強いる権利はない。助言を実行するしないは聞く人の勝手だ。それよりも先ず大事なことは、助言というものは決して説明ではない、分析ではない、いつも実行を勧誘しているものだと覚悟して聞くことだ。親身になって話しかけている時、親身になって聞く人が少い。これがあらゆる名助言の常に出会う悲劇なのだ。
なぜこんなことをくどくど書くかというと、ーーーーーーーそれは諸君が自ら反省し給え。諸君がどれほど沢山な自ら実行したことのない助言を既に知っているかを反省し給え。聞くだけ読むだけで実行しないから、諸君は既に平凡な助言には飽き飽きしているのではないか。だからこそ何か新しい気の利いたやつが聞き度(た)くてたまらないのじゃないか。
【出典:読書について】
批評の神様と呼ばれた小林秀雄は、助言は批評するよりもムズカシイといっています。なぜならば・・・助言というものは、もっと実際的な切実な親身な筋合いなものであり、なおかつ、心がけ次第で明日からでも実行が出来るもので、実行した以上必ず実益がある、という条件を満たすものだからです。
- 実際的な切実な親身なもの
- 明日からでも実行ができるもの
- 実行したら必ず実益があるもの
例えばどんなものが「助言」なのでしょうか?
小林秀雄は、文藝春秋社を興し、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設に携わった菊池寛のアドバイスを紹介しています。
これから小説でも書こうとする人々は、少なくとも一外国語を修得せよ
小説家になることと、外国語を学ぶことに、どんな関係性があるのだろうか?きっとあなたはそう思ったでしょう。そんな方のために、村上春樹のエピソードを紹介します。
村上春樹は、デビュー作の『風の歌を聴け』を執筆して、自分で読んでみたところ、「やれやれ、これじゃどうしようもないな」とがっかりしたそうです。
そこで小説の出だしを、試しに英語で書いてみて、英語で書いたその文章を日本語に翻訳したところ「自分自身の独自の文体」を発見し、「なるほどね、こういう風に日本語を書けばいいんだ」と目からウロコが落ちたそうです。
つまりわたしが言いたいことは・・・・助言を実行した上でなければ、助言の真価はわからないということです。
わたしが実際に挑戦してみて、「これは!!!」と目から鱗が落ちる経験をした助言を紹介していきたいと思うのですが、そのことを忘れないでください。
ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。
【出典:読書について】
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(現在、鋭意執筆中!)