かつて日本が高度経済成長を遂げた理由は、「勤勉な国民性」であるというのが通説でした。しかし「勤勉な国民性」というのは「奴隷養成教育」の賜物なのです。
上司からの命令に「はい」か「イエス」としか応じず、「なぜその命令があるのですか?」などと疑問すら抱かない『奴隷』マインドがプラスに働いた時代があったことは確かです。
しかし現代では、かつて日本企業の競争力にプラスに働いた『奴隷』マインドが、大量生産の利点が働かない分野においては、プラスに働くどころかマイナスに働くのです。
たとえば「コロナワクチン」。新型コロナウイルスに対抗するために開発されたワクチンは、これまでのワクチンの枠組みを逸脱したいわば「新型ワクチン」でした。
残念ながら、勤勉な国民性があるからといって、「新型ワクチン」を開発できるわけではないのです。事実、「技術立国」であったはずの日本企業はコロナワクチンの開発競争から完全に脱落して、日本政府はワクチンを輸入することしかできませんでした。
そう。かつて日本の「強み」だったものが、「弱み」になっていることが日本没落の原因なのです。日本繁栄の理由となると同時に、日本没落の原因となっている「日本型教育」とは、一体、どのような教育観に裏打ちされているのでしょうか?
近代教育の理念
「日本型教育」について理解してもらうためには、『近代教育の理念』についての説明を省略するわけにはいきません。『近代教育の理念』を理解するポイントは2つあります。
1つ目のポイントは「教育の目的は社会化である」ということであり、2つ目のポイントは「教育の主体は親であり国家ではない」です。
社会化
聞きなれない言葉ですが、社会化とは一体何でしょうか?社会化とは、第一に「社会生活のために必要な技術を身につけること」であり、第二に「社会規範を体得すること」です。
しかし複雑化した近代社会では、親が子どもを「社会化」させることはほとんど不可能です。そこで教育を「国家に任せる」のが近代の特徴です。
教育の主体
中世ヨーロッパ社会では、教育の主体の担い手をカトリック教会が独占していたのですが、これを否定したのが近代教育です。
その結果、教育の主体がカトリック教会から親に還(かえ)されることになるのですが、親の力量にはどうしたって限界があります。
そのため学校などの公共教育機関は、親の委任によって教育を行いますが、あくまで委任であり、教育の責任は親が負うのが「近代教育」の原則です。
「近代教育」においては、親の価値観によって、子どもの教育方針を決定するのが原則です。公共教育の場である学校が子どもの価値観にまで口を出すのはタブーなのです。
重要なことなので繰り返します。公共教育の範囲はあくまでも「生活の技術的手段」と全く中立な「一般規範」を教えることに限定されていなければならず、特定のイデオロギー・宗教・政治的な目的に関わってはならないのです。
しかし日本では驚くべきことに、近代教育の理念は、真っ向から否定されているのです。
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