マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏は「自堕落なアメリカ人にわたしのお金を使うのではなく、世界の困っている人にお金を使いたい」という一貫した態度を崩していません。
ビル・ゲイツ財団は、巨額のお金を困っている人のために使っています。しかし「税金逃れ」という指摘が絶えません。なぜならば、富をアメリカ人に再配分することを拒んでいるからです。
アメリカ人の超富裕層には、同じアメリカ人よりも優先している存在がいるのです。あなたは驚いたかもしれませんが、日本も一緒です。日本の富裕層のなかには、税金を支払うのを嫌がって次々に海外に移住する人が珍しくありません。
ほとんどの国民は国になんとかしてほしいと願っているけれど、国の財政だってカツカツで、国民を助けることができません。もし課税を厳しくすれば、企業も個人も国を飛び出してしまうでしょう。
結果的に、国民の不満は蓄積し、国への信頼はゆらぎ、ますます国からの「お願い」に国民は真剣に耳を傾けなくなっています。まさにコロナ禍の日本国民が体験したことです。
そして実は・・・100年以上も前に「国民国家はうまくいかないだろう」ということを予言していた人物がいたのです。今回は、社会学の中興の祖といわれている「マックス・ヴェーバー」の予言と絶望について紹介します。
わたしの実体験
マックス・ヴェーバーの予言をそのまま伝えたところで、意味はわかっても実感してもらえないかもしれないので、まずはわたしの実体験をお話します。
わたしはほとんどの人が「UberEATS?何それ?」というタイミングでUberEATSを注文し、配達員にもチャレンジしました。UberEATSがまだ大都市の一部でしかサービスを展開していなかった時代です。
当時、UberEATSのサービスは利用者を感動させました。マクドナルドをアプリで注文したら行列に並ぶことなく10分ほどでビックマックセットが自宅に届くのですから、はじめての利用者はみんな驚いていました。
しかしコロナ禍をきっかけにしてUberEATSや出前館のサービスが注目を浴び、利用者が増え、利用可能エリアも広がっていくうちに、利用者の感動は薄れていきました。
変化を感じたのは利用者だけではありません。UberEATS配達員の気持ちにも変化が起こりました。「喜ばれるサービスを提供している」という実感は少しずつ薄れていき、現在ではシステムの駒として扱われる「代替可能な存在」であることを自覚しています。
システムが社会を覆う
わたしが体験したUberEATSの話を踏まえると、マックス・ヴェーバーの予言がよく理解できるはずです。マックス・ヴェーバーは以下のような予言をしていました。
国民国家のような大規模な社会を営むためには、どうしてもマニュアルに従って業務をこなす行政官僚制が必要になる。なぜマニュアル化が必要になるのか?といえば、特定の誰かがいなくなると止まってしまうシステムは効率的でないから。
たとえば特定の職員が不在のときは住民票が発行できない・・・となれば、住民に多大なる影響が出てしまいます。だから住民票だけでなくあらゆるサービスは、マニュアル化される必要があるのです。
そしてここからが重要なポイントなのですが、「行政官僚制」というと役所をイメージするかもしれませんが、役所だけでなく学校、病院、企業組織、宗教組織の運営など、あらゆる組織の業務も「マニュアル化」という流れに抗えないのです。
なぜならば特定の個人がいなくなると業務ができない・・・なんてことになれば、仕事が回らないだけでなく社会までもが回らなくなってしまうからです。
大企業・現場・宗教団体
大企業の社長であっても基本的には「代替可能」な存在です。大企業が不祥事を起こして社長が交代することも珍しくありませんが、その大企業は何事もなかったように翌日も存続しています。
企業の管理職を離れた「現場」でもそうです。例えばサイゼリアの料理人は包丁を使いません。料理人の腕や気分によって味が変わるようでは、サービスの質を担保できないからです。
経済の世界だけでなく宗教世界でも「代替可能な人材」が跋扈(ばっこ)しています。固有名詞は明らかにしませんが、日本でも名の知れた宗教団体の職員までもが、満員電車に揺られて出社して業務をこなすという、サラリーマンとなんら変わらない生活をしているのです。
ロボット人間の量産体制
代替「不可能」な時代を知っている人間は、システムの外があることを理解しています。ですから例えば「会社で出世することがすべてじゃない」なんてことはいわれずとも当たり前だったのです。
しかし時間が経過し、「代替不可能な時代」のことを知っていた人たちが少なくなると、「システムの内」で汗水たらして働くことが世界のすべてだと勘違いする人たちが大半を占めるようになります。
「システムの内」が世界のすべてだと勘違いした人たちは、自分たちが「代替可能な存在」であることを理解しています。ですから「漠然とした不安」から逃れることができません。そして「会社をクビになったら人生終わり」などと勘違いするようになるのです。
結果的に、不安に駆られた人たちは不安であるがゆえに、上からいわれるがままに行動する「代替可能な存在」であり続けようとするのです。
以上が、「ロボット人間」つまり「システムから一歩も出られない人間」が量産されるメカニズムです。
マックス・ヴェーバーの絶望
マックス・ヴェーバーの懸念は2つあります。
1つ目の懸念は、システムが社会を覆い、自分にとっての損得だけが優先されるような社会で「仲間のために立ち上がる政治家」が誕生するのか?ということ。
2つ目の懸念は、「代替可能な存在」として不安を抱えている国民が「仲間のために立ち上がる政治家」を見極めることができるのか?ということです。
マックス・ヴェーバーが懸念を表明してから約100年が経過した令和の日本においても、無視できない問題提起ではないでしょうか。
『政治家』は誕生しない
2022年1月15日、大学入学共通テストの試験会場だった東京大学の前で、受験生の高校生ら3人が刺されるという衝撃的な事件が発生しました。
加害者の高校生2年生は、高校受験で開成高、西大和学園高、ラ・サール高を受験するも全部落ちてしまって「大学では絶対1番を目指す。日本一のところに行くんだ」と友人に語っていたそうです。
そう。加害者の高校2年生にとっては「受験戦争」という世界が、自分の世界のすべてだったのです。
ここで質問です。
政治家も社会から生まれます。受験戦争で勝つことが推奨される社会から、損得を超えて「仲間のために立ち上がる政治家」の誕生を期待できるでしょうか?
『政治家』を選べない
またアメリカでも日本でも、「保守」的な政治思想が主流(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする!、美しい国ニッポン! 等)になっていますが、その一方で経済政策はといえば、再配分に否定的な自由主義を一貫させています。
つまり「美しい国」を標榜する輩が、再配分を否定することによって格差を助長し、不安だらけの社会を推進しているわけです。そして不安に苛(さいな)まれる人たちは、「美しい国」などの理念にすがりつくしかないところまで追い詰められています。これはまさにマッチポンプ状態です。
なぜわたしたちは、不安を再生産するマッチポンプのカラクリに気づけないのでしょうか?ズバリ答えは「現状維持バイアス」でしょう。
将来に漠然とした不安を抱えている人たちにとっては「現状維持」がもっとも「安心・安全」に感じられるため、仮に「現状維持」が自分のクビを締めているとしても、現状維持以外を選ぶことができないのです。
まとめ
日本社会において、マックス・ヴェーバーの懸念は現実になっています。
おそらく今後、日本社会はますます荒廃し、見ず知らずの人間は「敵」になるでしょう。事実、「負け組になりたくない」と頑張ることは敵と戦うことなのです。
学校で「みんな仲良く」などと指導したところで、受験勉強は友達を蹴落とさなければ合格できないのです。そして東京大学に晴れて合格しても、敵との戦いは続くのです。(例:進振り制度)
進振り制度とは、1年生と2年生の途中までの成績を元に、3年生からの進学先を決めることができる制度のこと。
あなたに伝えたいことは、多くの人が抱えている「漠然とした不安」の根本的な原因は、あなたにあるのでもなく、政治家が悪いのでもなく、「近代社会」の成れの果ての必然的な帰結だということです。
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