【過労死】はそのまま英単語にもなっている日本特有の現象です。欧米人には「なぜ死ぬまで働くのか?」ということが、本当に理解できないのです。
しかも日本人の健康を管轄している厚生労働省自体が、霞が関では「強制労働省」といわれるほど激務な職場であることを知ったら、欧米人は悪い冗談だと思うでしょう。
他にも「公文書を偽造した罪の意識から、官僚が自ら命を絶つ」というのも欧米人からするとショッキングな事件です。欧米人の感覚からすれば、罪の意識があるなら「仕事をやめればいいのに」と思うからです。
しかし日本人なら日本人の気持ちがわかるはずです。「長時間労働を自慢」したり、「上司から命令されたら、そう簡単には逆らえない」と考えるのが日本人だからです。
そう。あなたも先進国の「常識」がまるで通用しない「不思議な国」に住んでいるのです。
今日も元気が奪われる
「不思議な国」に住んでいるのに、「不思議な国」であることに気づかない最大の理由は、日本人のほとんどが「不思議なことを当たり前のように受け入れる教育」を受けてきているからです。
日本教育の「不思議な点」はいくつもあるけれど、今回強調しておきたい最大のポイントは日本の教育には「作為の契機がない」ことです。
作為の契機とは、社会は人間がつくったものだから、人間によって動かすことができる、とする考え方のことであり、「作為の契機」があるからこそ民主主義も成立しています。
今となっては当然すぎるほど当然な考え方ですが、その当然すぎる考え方ができるまでに前近代社会という長い歴史が必要でした。発展途上国やインドのような伝統主義社会には、いまでも「作為の契機」がない事例が山のようにあります。
そして「作為の契機がない」ことは決して他人事ではないのです。日本の学校では、作為の契機を全否定する教育をやっています。
事実として日本の学校では、「え?いまどきそんな校則があるの?」と首をかしげてしまうような校則がまかり通っているのです。
たとえば地毛が黒・直毛ではない生徒は「地毛証明書」を求められたり、ツーブロックも禁止だったりします。他にも体育の授業中の「日焼け止め持参・使用禁止」、下着は「白以外着用禁止」、体操服の下に「肌着着用禁止」等、理解に苦しむ校則のオンパレードです。
しかし理不尽な校則を変えることは、ほとんど不可能です。たとえばある生徒が、靴下の色を指定する校則を変えようと顧問に相談したところ、「伝統だから」と即座に否定されたそうです。そう。日本は「伝統主義」なのです。
伝統主義とは、いい伝統は大事に残して、悪い伝統はなくしていこうとする考え方のことではありません。伝統主義とは、
過去にやった、あるいは過去に行われたという、ただそのことだけで、将来における自分たちの行動の基準にしようとする考え方
のことです。そして伝統主義がわたしたちの「元気」を奪っているのです。どういうことでしょうか?
奴隷教育の徹底
他人から「お前のやることはなんだ。世間はそういうものじゃないぞ。それでは世間は通らんぞ」とアドバイス(説教?)された時、「はい。わかりました。申し訳ありません。わたしが悪いのです。」と素直に従うのが『内申点』や『上司からの評価』を獲得する必要最低限の作法です。
もし「世間はそういうものかもしれませんが、それは正しくありません。断固として改革すべきです。」と反論すれば、「生意気なやつだ」、「反省していない」、「協調性がない」と判断されて『内申点』や『出世』に悪影響があるかもしれません。
しかしだからといって「伝統」に「はいそうですね」と素直に従うことを続けていると、幸せを獲得する上で必要不可欠な「決断する能力」や「自分の人生をなんとかしよう」というやる気や元気が失われてしまうのです。
もちろん目の前の現実を自分の決断によってつくりかえるとき、より良くなるか?より悪くなるか?その結果は、事前にはわかりません。しかし事前にはわからないことを決断するからこそ、責任と元気が湧いてくるのもまた事実なのです。
戦後デモクラシーの崩壊
きっとあなたも日本にはたくさんの「問題」があることに気づいているでしょう。それにも関わらず、「これから日本は変わっていく」という希望が持てていないのではないでしょうか?
日本社会は、校則を変更できないし、ハンコもなくせないし、コロナ禍において保健所は、FAXで情報伝達をやっていました。
そう。現代を生きるわたしたちが目撃しているのは「日本の民主主義」の崩壊過程なのです。日本の民主主義は崩壊し、日本が前近代社会に転落する瀬戸際まできています。
大学入試が破壊する最大のものは「戦後民主主義」という幻想だったのです。合掌。
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