「元農水事務次官長男殺害事件」や「堀越学園高校生殺人事件」を例にして、アノミーについて解説してきました。次の話に進む前に、アノミーの特徴を整理しておきましょう。
タトゥー論争
2022年7月13日にテレビ放送もされたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ(王者:井岡一翔 vs. 挑戦者:ドニー・ニエテス)の試合光景は、視聴者にとって違和感のあるものでした。
日本人の井岡選手はタトゥーを肌色のパウダーで隠しているのに、ドニー・ニエテス選手は、タトゥーを隠していなかったのです。JBC理事長付顧問の安河内剛氏は試合後に以下のように語っています。
その国の文化や宗教上の問題があるので外国人にはタトゥーを消せと言えない。だから今日のような試合が一番難しい。一人は隠し、もう一人は完全に和彫りの入れ墨。当然、違和感はありますし、ものすごく矛盾です。(中略)
なぜ日本人だけダメなのか?との問いに明確な答えが出し切れない。多様性を認める社会的な流れの中で我々はどうしたらいいか。その課題に常にブチ当たっています。
【出典:東スポWEB】
果たして、タトゥーはいいことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?わたしは、ここに日本社会特有の「無規範」を感じます。
無規範の意味
ひとくちに無規範といっても全く異なる2つの用法があります。1つ目は、規範があってもそれが守られないという意味です。2つ目は、そもそも最初から厳密な意味での規範が存在しないという意味です。
規範があっても守られないことと、そもそも最初から厳密な規範がないことは似て非なるものです。「テレビにタトゥーを露出させることはNG」というのは規範でしょうか?
実は井岡選手をめぐっては2021年にもタトゥーの露出が話題になったことがあります。その時の関係者のコメントが興味深いので紹介しておきます。
日本ボクシング界史上の最高傑作といわれている井上尚弥選手は、「タトゥー 刺青が『良い悪い』ではなくJBCのルールに従って試合をするのが今の日本で試合をする上での決まり事。このルールがある以上守らなければね」とまずは現状のルールに則って試合が行なわれていることに言及しました。
さらに井上尚弥選手は「タトゥー 刺青を入れて試合がしたいのならルール改正に声をあげていくべき」と主張しているのですが、ここでの重要ポイントは「良い悪いではない」ことを関係者も認識しているということです。
つまり「タトゥーを隠すことはJBCのルールではあるが、規範ではない」というのが関係者の共通認識なのです。要するに「タトゥーを隠すこと」は、ボクシング村の「ルール」であり、中学高校の「校則」のようなものなのであって、規範ではないのです。
良い悪いではなく好き嫌い
日本にはもともと規範がありません。正邪善悪は、規範によって与えられる客観的な基準によって決まっているわけではないのです。状況に応じて、みんなが好むことが正しく、みんなが嫌うことが悪いことになってしまうのです。
そもそも規範というものは、そう簡単に変えられるものではありません。つまりタトゥーの露出に関する決まりごとは、JBCのルールなのであって、変更しようと思って変更できるのであれば、やはり規範とはいえないのです。
タトゥー問題だけでなく、不倫問題もそうです。好感度抜群だったタレントのベッキーさんの浮気(疑惑)が発覚すると、日本中を巻き込んだ大騒動にまで発展しました。
一方で、ダウンタウンの浜田雅功さんや、新婚さんいらっしゃいの司会を務めていた桂文枝さんの不倫は、何事もなかったようにスルーされました。
日本は空気が支配する国であり、これによって連帯が形成され、規範のかわりになっているのです。しかし空気による連帯は一種の「疑似規範」なのであって「規範」ではない以上、一度疑似規範が壊れると深刻な状況に陥ります。
疑似規範が壊れると、どうなるのでしょうか?
もともと疑似規範は、明白かつ固定的なものではありません。だから一度疑似規範が壊れると、「どこまで戻ればいいかわからない」という深刻な状況に陥るのです。
例えばコロナ禍の日本でもマスクは「マナー」にはなり得ても、あくまでも規範は「ない」のです。
そのため「そろそろマスクやめないか?」という意見が上がるようになっても、「(マスクを)どこまでやめればいいのか誰もわからない」という不思議な状況が生まれてしまうのです。
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