日本の階層原理

日本教育最大の問題は「大学受験が下位制度」であることを指摘しました。

下位制度は社会の働きによって自動的に生まれるのですが、そこで働いている「社会の働き」とは一体、どのようなものなのでしょうか?

大学で階層を決める

日本の大学は建前では「教育」を目的にしているけれど、本質的な目的は別にあります。本質的な目的は、日本の大学を卒業した人なら、あらためて説明しなくてもわかるでしょう。

そう。ほとんどの大学生にとって日本の大学を卒業する目的は、「卒業証書をもらうこと」なのです。なぜ卒業証書をもらうことが重要なのでしょうか?

その理由はシンプルです。ズバリ、日本では「大学が階層構成原理になっているから」なのです。そもそも階層原理とは何でしょうか?

階層とは、階級とか地位集団のように人間を区別するすべてを含めた概念のことです。具体的に、階級とは金すなわち経済で人間を分類するものであり、地位集団とは名誉によって人間を分類するものです。

そしてもちろん日本のように「無階級」を建前とする社会においても、階層というものは必ず存在します。では日本において、階層は何によって決まるのでしょうか?そう。日本では「卒業した大学」で階層が決まるのです。

日本独特の階層原理

階層を構成する原理は、社会によって異なりますが、階層は『上の人』と『下の人』に分けるというように、「タテ」に人間を分ける働きをします。

たとえばインドのカーストは、『属性』で人を「タテ」に分ける仕組みです。具体的には、人間は生まれながらに「バラモン(僧侶)」、「クシャトリア(武士)」、「バイシャ(商人・職人・農民)」、「シュードラ(下僕)」に分けられると考えるのがカーストの発想です。

また近代社会では、『業績』が階層原理になる傾向があります。たとえばアメリカでは、一流の大学を卒業しても社会人として仕事でいいパフォーマンスを出せなければ、容赦なくクビになるなんてことも珍しくありません。

では日本の階層はどのようになっているでしょうか?

日本における階層構成原理は、『属性』にあるわけでもないし『業績』にあるわけでもありません。日本は『業績』が『属性』に化ける独特な階層構成原理をもっているのです。なんの『業績』が『属性』になるのか?

そう。日本はどこの大学を卒業したという『業績』が、一生涯つきまとう『属性』になる不思議な国なのです。

受験地獄の本質

もし日本に階級があれば、受験競争が激しくなることもなかったでしょう。なぜならば競争しても階級が変わらないなら、競争することに大きな意味がないからです。

しかし日本は世界でも珍しいほどの「無階級社会」です。大学入試自体は、(あくまで表向きは)誰もが完全に平等で、性別、宗教、家柄、財産などが問われることなしに、点数という業績のみによって合否が決定されます。

だからこそ無階級社会のなかで『属性』を獲得するべく、東大なら東大、慶應なら慶應、早稲田なら早稲田の『ブランド』を獲得しようと、誰もが競争に邁進しているのです。

たとえばわたしが高校生の時、同じクラスメイトの友人が「今死ぬほど苦労しても、将来は楽したいからいい大学に入りたい」という願望を口にしていました。

わたしの友人は「卒業した大学」が『属性』になることを当たり前のように信じていたのであり、友人の主張を違和感なく受け入れていたわたしも、同じ前提を無批判に共有していたにすぎなかったのです。

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