人間関係の極意

人間関係の一般的な認識は「存在があり、関係性が生まれる」です。ひらたくいえば、「あなた」と「わたし」という存在を前提とした上での関係性が「人間関係」である・・・・と多くの人が考えているはずです。

「わたし」と「あなた」

しかし実は・・・・・「あなた」と「わたし」が存在するという前提でコミュニケーションをとらえる認識は、「西洋的な認識」なのであって、この西洋的な認識では現実的なさまざまな問題を乗り越えることが難しいのです。なぜでしょうか?

人間関係の西洋的な認識

西洋的な認識では、現実的なさまざまな問題を乗り越えることが難しい理由は、「わたし」や「あなた」というものの存在を絶対視しやすいからです。つまりこういうことです。

西洋的な認識においてコミュニケーションは「人(あなた)と人(相手)との通信」です。「あなた」が「相手」に伝えたい情報というものがます存在し、その情報を相手に伝えることが重要である・・・・・という発想が大前提にあるのです。

しかし大前提となっている「あなたが相手に伝えたい情報」は、状況に応じてコロコロ変わるのです。

たとえばあなたが「すぐに離婚したい」と切に願っているとします。しかし「すぐに離婚したい」という願望は絶対的なものではありません。

例えばあなたが離婚したいと思っている相手が宝くじで2億円当選した場合を考えてみましょう。あなたは「すぐに離婚したい」と思うでしょうか?

以上のように、「あなたが相手に伝えたい情報」というものは状況に応じてコロコロ変わるのです。

絶対はあるか?

実際にわたしの母は「絶対に離婚する」と涙をボロボロこぼしながらわたしに訴えかけていました。わたしが物心つくかつかないかの時の話ですが、おそらく当時の母は本気で離婚してがっていたと思います。

そして時が流れ、逆にわたしの父が母との離婚を本気で検討した時期がありました。父は「全財産を上げるから離婚してくれ!」と母に土下座までしたのですが、母は心変わりしていたため、父の願いは成就しませんでした。

そしてさらに時が流れた現在においては、父にとっても母にとっても離婚を検討していた過去は懐かしい思い出になっているようです。

つまり「絶対的に正しい情報」というものは、そもそもこの世に存在せず、そのときどきの状況で「正しいと信じる情報」があるだけなのです。

学問の限界

西洋的な学問には「前提」があります。裏を返せば、前提が成り立たない状況では、学問的な考察には意味がなくなってしまうのです。

例えば経済学においても2つの前提があります。1つ目の前提は「完全情報」。2つ目の前提は「合理的判断」です。

完全情報とは、経済に参加する各プレーヤーはすべての情報を与えられているという前提です。

合理的判断とは、経済に参加する各プレーヤーは必ず合理的な判断を下すという前提です。

しかし現実にはそれら2つの前提は成り立っていません。例えばあなたが不動産を探しているとします。

不動産仲介業者はすべての情報をあなたに伝えてくれるでしょうか?あなたは必ず合理的な判断を下すでしょうか?

答えはノーのはずです。そもそも情報の非対称性があるからこそ、不動産仲介業というビジネスが成り立つわけです。そう。完全情報は成立していないのです。

また不動産の価格や間取り以上に、「気に入った(気に入らない)」といった理由で判断を下すこともあるのではないでしょうか?そう。人はいつも合理的な判断をするわけではないのです。

つまりそもそも最初から「ありえない前提」をベースにしていることが経済学の限界であり、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ですら経済を予測できない理由なのです。

西洋的な人間関係の限界

経済学という学問があり得ない前提をベース同様にしているがために、西洋的な人間関係の見方にも「ありえない前提」があるのです。「あり得ない前提」とは、「あなた」も「相手」も変化しない存在であるという前提です。

しかし「あなた」も「相手」も変化しない存在であるという前提には無理があります。

なぜならば「あなた」も「相手」も変化しないのであれば、相手の気持ちを変えることもできないですし、あなた自身の気持ちも未来永劫変わらないということになってしまうからです。

そもそも「あなたも相手も変化しない存在」であるという前提をベース人間関係を考えるのであれば、すべてのコミュニケーションに意味がなくなってしまいます。

なぜならばコミュニケーションによりあなたの伝えたいことを相手に伝えたところで、相手の気持ちは変わることがない・・・という結論になってしまうからです。

ですからもしあなたが「相手を説得したい」とか、「建設的な議論をしたい」と願うなら、西洋的なコミュニケーションの見方を捨てる必要があるのです。

東洋的な人間関係の「見方」

わたしがこれからあなたに伝えたいと思っている人間関係の見方は、「東洋的な人間関係の認識」です。東洋的な人間関係の認識では、「関係があるから存在がある」という考え方をします。

大事なポイントなので繰り返しますが、西洋的な人間関係の見方では「存在があるから関係がある」と考えるのですが、東洋的な人間関係の見方においては「関係があるから存在がある」と考えるのです。

「関係があるから存在がある」という認識をしっかり理解することで、「人間関係は変えていけるし、人間関係で悩む必要もない」ということが本当の意味で理解できるようになりますし、実際にあなたの行動を変えることで現実は変わっていくはずです。

ここで「すべての悩みは対人関係の悩みである」ことを喝破したアルフレッド・アドラーの言葉をチェックしてみましょう。

人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。

個人心理学講義

人は一人で生きているのではなく、<人の間>に生きています。わたしたちは一人で生きているのではなく、他の人の間で生きているのです。

個人はただ社会的な(対人関係的な)文脈においてだけ個人となる。

個人心理学講義

そう。アドラーは「関係があるから存在がある」ことを理解していたのです。

それでは次回からは、本格的に「関係があるから存在がある」という認識について、もっと詳しく解説していきたいと思います。

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