行政指導 ~ なぜ「お願い」が「命令」になるのか?

コロナ禍ではたくさんの「お願い」(要請)がありました。「不要不急の外出は控えてください。」とか、「時短要請に応じてください。」などのたくさんのお願いが日本では当たり前になっていますが、政府のお願いは国民や飲食店のみならず、大手通信会社もその対象になりました。

携帯料金は高すぎる?

コロナ禍で内閣総理大臣という重責を担うことになった菅義偉の公約のひとつは、「携帯電話料金の値下げ」でした。ドコモ、au、ソフトバンクは、携帯電話の料金を文字通り値下げすることを要求されました。

しかしこのような要求について、法的な根拠があるわけではありません。行政が「要求」という実質的な命令を下すことによって、市場原理をねじまげようとしているのですから、命令された側が反発するのも当然といえば当然でしょう。

例えばKDDIの高橋誠社長は「従来の方針と矛盾している」と政府のやり方を批判しました。しかし武田総務大臣は「非常にがっかりした」と憤慨し、消費者庁と連携して指導する構えをみせました。

その結果どうなったでしょうか?みなさんご存知のとおり、「オンラインでの申し込みに限る」という条件付きではあるものの、本当に携帯電話の格安プランが本当に誕生してしまったのです。

そしてわたしが本当に驚いたのは・・・・・・格安プランが成立したにも関わらず、最安値の料金プランを発表したauに対して、武田総務大臣は「非常に紛らわしい」と苦言を呈したのみならず、総務省が2021年夏にむけて「スマホ乗り換え相談所」の設立を発表したことです。

政府は市場原理をねじまげるだけでなく、「スマホ乗り換え相談所」という市場プレーヤーとしても活動しようとしているのです。一体、政府はなにがしたいのでしょうか?

行政指導とは?

一般企業同士の契約であれば、総務省のようなやり方は許されないでしょう。発注側が「安くしろ」というので、受注側がしょうがなく安くしてあげたら、返ってきた言葉は「ありがとう」ではなく、「非常に紛らわしい」なのですから話になりません。

一体日本という国は、いつから行政からの指導が「命令」のような働きをするようになったのでしょうか?そして法律的な根拠もない「指導」にたいして、なぜ民間企業はおとなしく従うのでしょうか?

実は「行政指導」についての詳しい研究は、わたしの知るかぎりありません。なぜならば行政指導というのは、ほとんどが水面下でなされる行為であるがゆえに、行政指導にいたるまでのプロセスが可視化されていないからです。

議事録が残っているかもわからないし、そもそも議事録のようなものが作成されているかすらよくわからないのですから、研究しようがないのです。行政指導の存在を国民が知ることができるケースというのは、「石油ヤミカクテル事件」や、「リクルート事件」のように、世間を騒がせるような大事件に発展した場合のみなのです。

ちなみにもしあなたが「石油ヤミカクテル事件」や、「リクルート事件」と行政指導との関係に興味があるなら、新藤宗幸(千葉大学名誉教授、以下敬称略)の著書「行政指導 ~ 官庁と業界のあいだ」(岩波新書)を参考にするとよいでしょう。

共同作品

行政指導についての詳しい解説については、さきほど紹介した書籍を参考にしてもらうとして、行政指導における興味深いポイントにしぼって解説しておきたいと思います。

実は行政指導というものは、行政からの一方通行の命令ではないのです。菅義偉の公約である「携帯電話料金の値下げ」については、大手通信会社との事前のすり合わせがほとんどなかった・・・・というような状況が想像できますが、むしろそのようなケースというのは例外的なケースであると考えられるのです。

そう。行政指導というものは、指導がなされるタイミングだけみれば、一方的な「お願い」にみえますが、行政指導がなされる多くのケースでは、『官庁と業界との事前ミーティング』が繰り返しおこなわれ、結論を導き出すような性質をもっているのです。

そのような事情があるため、(新藤宗幸氏の言葉を借りれば)行政指導というものは官庁と業界団体の「共同作品」なのです。とはいえ、労力を割いてまで共同作品をつくることにメリットがあるのでしょうか?

もちろん官庁・業界ともにメリットがあるからこそ、共同作品の完成に邁進するのです。具体的には・・・・官庁からすれば、法律をつくる手間を省いて(つまり国会議員に頼ることなく)業界団体を動かすことができるメリットがあるし、その一方で業界側からしてみれば「官庁からのお墨付き」をもらうことで有利にゲームを進めることができるというメリットを享受できるのです。

以上、官庁・業界の癒着ともいえる関係性をサラっとみてきましたが、もちろんそこには政治家も絡んできます。政治家がどのように絡んでくるのか?という詳しい話はここではしませんが、わたしがお伝えしたいことは、「国民が知らないところで大事なことが決まる構造こそが、自称『民主主義』日本の実態だ」ということです。

それでは今日もよい一日を!!