日本人にはなじみの薄い経験論と(大陸)合理論を理解する上で非常に役立つ映画を紹介します。
予告動画)オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
夜のドライブ
変性意識状態に入って暗示を入れると、暗記力があがったり、運動能力があがったり、集中力が高まったり、自分にとって取るに足らない他人の存在感が気になったりします。夜のドライブデートが好まれる理由は、変性意識状態に入りやすいからです。
変性意識状態とは、「意識が物理空間ではないところに臨場感をもった状態のこと」です。このように説明すると、変性意識状態に入っている状態が具体的にどのようなものかあまり実感がわかないかもしれませんが、あなたもわたしも毎日のように変性意識状態に入っています。
事実、テレビCMは視聴者を変性意識状態に入れることによって特定の商品・サービスを販促していますし、かつてオウム真理教はドラッグをつかって信者を変性意識に状態に入れて洗脳していました。
「わたしはテレビを観ていないし、ドラッグもやっていないから変性意識とは無縁の生活を送っている」と言いたくなる人もいるかもしれません。
しかしそのように主張する人でもほぼ毎日のように変性意識状態に入っています。なぜならばこの世でもっとも深い変性意識状態は『睡眠状態』だからです。
映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」を観ていると、映画のなかの世界に没入していく感覚をつかめると思うので、是非ともリラックスして視聴してほしいのですが……今回あなたに伝えたいことは変性意識状態のことではなく、もっと別のことなのです。
原題:Locke
映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」の原題は、『Locke(ロック)』です。主人公の名前が『アイヴァン・ロック』なので、主人公の名前をとったタイトルと考えることもできますが、タイトルの狙いは別にあります。
おそらくは社会契約論を提唱し、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも大きな影響を与えた哲学者「ジョン・ロック」のことを観客に思い出してほしいのでしょう。映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」がジョン・ロックとどのように関係があるのかといえば、ジョン・ロックがイギリス経験論の哲学者であることと関係しています。
経験論とは「経験を通じて獲得したものだけが信じられる」と考える立場のことで、しばしばアプリオリ(普遍的に正しいもの)を認めるフランスを中心とした(大陸)合理論と対比されます。
映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」の主人公アイヴァン・ロック(演:トム・ハーディ)は、仕事終わりに「家族のいる家に戻るか?」、「不倫相手が出産する病院にいくか?」という決断を迫られ、ある重要な決断を下します。
決断を下したあとは、ひたすら主人公のアイヴァン・ロックが高速道路を走っているシーンだけで物語が進行していきます。経験論的な立場から映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」を鑑賞するのであれば、主人公の下した決断の結末は、高速道路を降りるまで誰にもわからない……ということになるでしょう。
しかしそうは問屋が卸さないのが、映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」という作品の興味深いところです。
父親の呪い
経験論では、経験に先立つものを認めません。「経験する前からわかっている選択なんてものはあり得ない」と考えるのが経験論の立場だからです。
しかし映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」の観客は、主人公が最後にどうなるかなんとなく想像できてしまうのです。
そして作品を鑑賞していると、主人公が決断を下した理由がどうやら「自分は父親のようになりたくない」いう過去のトラウマにあることがわかってきます。
するとなおさら「経験する前からわかっている選択なんてものはあり得ない」という思想を肯定しずらくなってきます。なぜならば主人公が決断を下した理由が「過去のトラウマ」という経験だからです。
過去のトラウマにより「自分は父親のようになりたくない」と強く願う気持ちが、逆説的に「自分を父親のようにしてしまう」のです。父親からの呪いから自分を救うためにはどうすればよいのでしょうか?
否定形の否定
コーチングでは、現状やゴールを否定形で記述することを禁じています。ですからアファメーション文を否定形で記述することはNGなのです。
経済学者の安富歩(やすとみあゆみ)先生も、「生きる技法」という本でこんなことをいっています。
「父親のようになりたくはない」
というのは夢ではないのです。なぜなら、否定形は言葉でしか表現できないからです。先ほど言いましたように、しっかりと夢を見れば、体が反応して僥倖を拾うことができます。ところが、否定形は体では表現できません。
嘘だと思うなら、試しに「父親のようにはなりたくない」を身振りで表現してみてください。難しいのではありませんか。あるいは「私は犬ではない」でも結構です。(中略)
ですから、言葉でもって否定形で念じたことを、体は理解できません。それどころか身体は、否定をはずして受け止めてしまうように私は思います。
例えば自動車を運転しているときに、電信柱が気になって「あの電信柱にぶつかりませんように」と念じながら運転すると、魅入られたように電信柱にぶつかる、ということがあります。
こういった事例は日常生活でも往々にして経験するのではないでしょうか。「こうなったらまずいな」と思っていると、思ったとおりになってしまった、という苦い経験です。
生きる技法
あなたの過去があなたに呪いをかけないためにも、あなたの夢は否定形で記述してはいけません。「父親のようになりたくはない」と考えるほど父親のことを考えてしまって、自分に呪いをかけてしまうからです。
貧乏になりたくない、卑屈になりたくない、嫌われたくない、あの人みたいになりたくないと言葉にしたり考えている自分に気づいたら……お金持ちになるのが当然、いい性格なのは当たり前、他人から好かれるのが当たり前、と考えるようにしましょう。
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