隣人愛の代替案

前回の講義で紹介した寺脇研さんは、なぜゆとり教育を推進しようと思ったのでしょうか?寺脇研さん曰く……

この教育改革は、ものの考え方を『競争から共生へ』変える、世の中を根っこからひっくり返すことであって、明治維新や戦後改革に匹敵する大変革で、叩かれることは覚悟の上。

高井たかしHP

競争によって一番をつくるシステムを何よりも優先させてしまうと、勝つためのノウハウは万全なのに、「世界」とつながる力を育てることができない人材を大量生産することになります。

「世界」とつながれないということは、既存の「社会」の枠から出られないということです。既存の「社会」の枠から出られないということは、今の社会を変えられないということです。

今の社会を変えるためには、前例がないとか、恐怖とか、リスクとか、既得権益といったものと戦うための強い動機づけが必要になります。

そこで強い動機づけを供給する「第四の帰属」について教える「教育改革」の出番なのですが、残念ながら……あらゆる「教育改革」は成功しないでしょう。

その理由は「ゆとり教育」が失敗した理由について考えてみれば明らかです。

トモエ学園はもうない

失敗した最大の理由は「教師人材の圧倒的不足」です。戦後から45年が経過し、かつて黒柳徹子さんを輩出したトモエ学園のような理念を体現できる教師は、絶滅危惧種です。

昨今、ブラック校則が話題になっていますが、壊れたラジオのように「校則は校則なのだから守るべき」を繰り返す教師が大多数では「競争から共生へ」もへったくれもないでしょう。

仮に「こんな校則はオカシイ」と内心では考えている教師がいたとしても、教師が同調圧力に負けている時点で、子どもに「競争から共生へ」なんてアドバイスをしたところで、きっと子どもの心にも響かないでしょう。

そもそも「ゆとり教育」に舵を切った時、教育改革の狙いを本当に理解していた現場の教師がどれだけいたかも疑問ですし、理解したとしてもどうすればよいのかよくわからなかったのではないでしょうか?

隣人愛は通用するか?

どうすれば「世界」とつながる可能性にひらかれることができるでしょうか?たとえばキリスト教の「隣人愛」を日本で普及させることはできるでしょうか?

結論だけいば、真剣に検討する余地はほとんどないでしょう。「隣人愛」という言葉を持ち出した瞬間に、「え?宗教の話ですか?」とそっぽを向かれてしまう可能性が高いですし、かりに「隣人愛」を語ることができたとしても効果は限定的でしょう。

事実、日本よりはるかに宗教的な国家であるアメリカの状況をみていると、銃乱射事件が数日置きに発生する状況です。キリスト教の隣人愛といったところで、あらゆる人に行きわたるものではなくなってきているのが現状なのです。

日本で隣人愛を語るのが難しいのだとすれば、どうすればよいのか?といえば、キリスト教徒が隣人愛の教義に従っているのと同等な帰結をもたらす作法を探すことが現実的な解になるでしょう。

選択肢は一つではない

たとえばアドラー心理学に興味がある人には「導きの星」、仏壇に毎日手を合わせている仏教に興味がある人には「縁起思想」、自己啓発に興味があるなら「ゴール」について語ることが、第四次帰属との関わるチャンスになり得るでしょう。

具体的には、「導きの星」や「ゴール」を設定しようとすれば「目指すべきところは人それぞれ」であることを実感するでしょう。また「縁起思想」を実感すれば、「自分は世界の中心であると同時に世界の一部」であることを実感するでしょう。

すなわちキリスト教徒に1mmも興味のない日本人に対して、隣人愛を語るなどして無理に価値観の伝達を試みようとするのではなく、「共同体」よりも「個」が優越すること、「共同性」よりも多様な個の「共生」が大切であることが伝わるのであれば、手段にこだわる必要はないと思うのです。

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