聖なる犯罪者 ~ 形式的に祈るつもりはない

少年院を出てから工場に勤める予定だったのに、偶然が重なり聖職者になりすますことになった男性の実話をベースにした映画を鑑賞しました。

予告動画)聖なる犯罪者

いつバレるのか?

家なき子で天才子役としてブレイクし、現在もドラマなどで活躍している安達祐実さんは、2021年2月8日に出演したNHKの『ごごナマ』で当時をこうふりかえっています。

言ってもらってうれしい半面、どうしようみたいな。天才じゃないのに、そういうふうに言われてしまって(中略)今見たら下手くそだったなって自分でも思いますけど、天才って、みんなが言ってくださるけど、本当は違うってことがいつバレるんだろうってヒヤヒヤしてました。

またデビューしてまだ間もないころの松坂桃李さんも、2010年4月から2011年3月にかけて出演していた「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」(日本テレビ系)という番組で、震えながら安達祐実と同じような悩みを打ち明けていました。

自分の自分への評価と、周りからの評価が釣り合わない状況が怖くてしかたがない」というのは、芸能人ならず誰しもが抱える可能性のある問題です。

わたしにも同じような経験があります。新卒で外資系の経営コンサルタント会社に就職してすぐに「給与にふさわしい働きをしなければいけない」というプレッシャーに押しつぶされそうになりました。

出席する会議で顔を合わせるのは、30歳以上も年の離れた有名企業の役員や社長たちであり、自分がそこにいることの場違いな感じにプレッシャーで吐きそうになったこともあります。

そしてようやく自分の仕事に自信をもったころになると、さらに上の仕事を任されるようになり、またプレッシャーに押しつぶされそうになるということが会社にいる間、ずっと続いたのです。

冒頭で紹介した『聖なる犯罪者』の主人公ダニエルも、聖職者としてのスキルがあるわけでもないのに聖職者としてふるまうことになります。そしていつも「自分が聖職者としての資格もないただのムショあがりの小僧だとバレるのが怖い」という状況に苛まれるのです。

確固たる信念

聖職者としてふるまうことにビクビクしていたダニエルですが、不思議なことにダニエルは街の住人から支持を集めることになります。はじめのうちは「あの人、ずいぶん若いけど大丈夫?」という懐疑的な目で見られていたダニエルですが、次第に街の住民から認められるようになるのです。

なぜ?聖職者としての資格をもたないダニエルは、聖職者として周囲から認められる存在になれたのでしょうか?

おそらくその答えは「確固たる信念」でしょう。

教会で祈っているからといって、その人がキリスト教徒であるわけではありません。「祈りに参加しないと面目が立たないから」という理由でミサにしぶしぶ参加している人もいます。

そういう人にダニエルはこう言い放つのです。「形式的に祈るつもりはない」と。ダニエルは祈ることによって実際に救われた人間だからこそ、ダニエルの言葉には嘘がないのです。

そして不思議なことにその『形式的ではない本物の信仰心』は、周囲の人にも伝わっていくのです。だから周囲の人もダニエルを「聖なる存在」として認めるようになっていくのです。

あなたの信念は?

『確固たる信念』に裏付けられた言葉と、そうでない言葉の違いを無意識に感じ取ることのできるのが「感情のある人間」であるはずです。しかし近年、そうとは言い切れない可能性が白日のもとに晒されるようになってきました。

たとえば「HER」というSF映画には、AIでプログラミングされた女性の言葉に愛を感じ、その架空の女性と恋に落ちる「感情が劣化した男」が登場します。この男性は、「あなたを愛しているよ」というような無機質な言葉に対して、まるでロボットのように反応し、その言葉をそっくりそのまま鵜呑みにしてしまうのです。

仮にあなたがホストクラブやキャバクラに遊びにいって、そこでイケメンや美女から「愛している」と言葉をかけられたとします。そのような言葉がどれほど嬉しかったとしても、店を出たら現実に戻るのが『大人の作法』であるはずです。

しかし現代人はSNSで「好きです」といわれれば「そうなんだ」と錯覚し、「儲かるよ」などと勧誘されればその気になって騙されてしまうのです。(オーマイガー!)

言葉の裏にあるもの

AIテクノロジーの研究者たちは、AIテクノロジーをすこしでも人間に近づけさせようとして、感情までも学習の対象にしています。その一方で皮肉にも人間はロボットに近づこうと必死に努力しているのです。(受験勉強!資格勉強!)

言葉の裏には、言葉にできない「何か」があります。その何かがなんであるかを映画「聖なる犯罪者」は思い出させてくれるはずです。

例えば日本の政治家は「法律(言葉)を守っているから悪人ではない」というようなことを主張します。しかし法律を守っているか?破っているか?ということとはまったく異なる次元に「聖なるもの」は存在しえるのです。

つまり理論的にも「聖なる」+「犯罪者」は存在し得るのです。だからこそ「法律(言葉)を守っているから悪人ではない」というような詭弁に騙されるような人間は、わたしからすると夜の街での「愛している」を鵜呑みにする人間たちや、AIプログラムに「愛してる」といわれて己惚(うぬぼ)れる人間たちと、何一つ変わらないのです。

あなたを解き放つもの

自分の自分への評価と、周りからの評価が釣り合わない状況が怖くてしかたがない」というような、かつて安達祐実さんや松坂桃李さんが悩んでいた不安を感じるのが、あなたがロボットではなく人間である証です。

その不安の感情に打ち勝とうとしたり「なかったこと」にするのは得策ではありません。なぜならば「なかったこと」は「ないこと」にはならないからです。ではどうすればいいのか?

不安というものはそれを受け入れた瞬間に楽になります。逆に抵抗すればするほど痛みを感じて苦しむことになるでしょう。だから不安という感情すら娯楽にすればいいのです。その点についてはまた機会があれば取り上げたいと思っています。

それでは今日もよい一日を!!