“In My Room”という宇多田ヒカルさんの歌に、以下のような歌詞があります。
歌うのもいいけど 疲れちゃったよ
夢も現実も目を閉じれば同じ(中略)
戦うのもいいけど 疲れちゃったよ
夢も現実も目を閉じれば同じ(中略)
ウソもホントウも口を閉じれば同じ(中略)
泣いて笑って 傷つくのもいいけど
夢も現実も目を閉じれば同じ(中略)
ウソもホントウも 君がいるなら同じ
逃げたい日もあるさ すべてを忘れて
夢も現実も目を閉じれば同じ(中略)
ウソもホントウも 君がいないなら同じ
驚くべきことに……”In My Room”という歌には、空の思想が隠れているのです。
物理空間と情報空間
宇多田ヒカルさんの歌を紹介した理由は、空の世界は物理空間だけに通用するものではなく、情報空間(頭の中の世界)にも通用するものだということを明確にしておきたかったからです。
空について解説するために、これまでたくさんの事例を挙げてきましたが、『車の譬え』や『慈円の歌』は物理空間の方向性から、空について説明したものです。
その一方で『点と円』は情報空間の方向性から、空について説明していることに注目してください。同様に、今回紹介した宇多田ヒカルさんの歌の世界は、明らかに情報空間の世界の話です。
そのことは「現実も夢も、目を閉じたり口を閉じれば同じ」という部分に注目するとわかりやすいと思いますが、ここで重要なのは現実なのか夢なのか決めているのは「自分」ということです。
そのことは以下の歌詞に注目すればわかります。宇多田ヒカルさんは「ウソもホントウも 君がいるなら同じ、ウソもホントウも 君がいないなら同じ」と歌っているではありませんか。もう少しかみ砕いて説明するとこういうことです。
ウソも現実も自分が決める
君がいる場合には「ウソ(ホントウ)」なのであれば、君がいない場合は「ホントウ(ウソ)」と解釈するのが一般的です。
しかし宇多田ヒカルさんの歌は、「ウソもホントウというものは、君がいてもいなくても同じ」と主張しているのです。
その理由はすでに申し上げました。「現実も夢も、目を閉じたり口を閉じれば同じ」だからです。目を閉じたり、口を閉じるのは誰でしょうか?そう、自分の意志ですよね?
つまり目を閉じたり、口を閉じるのが、自分の意志である以上は、「ウソもホントウも自分で決めるもの」という理屈になるのです。
あなたは同じ行動にもかかわらず、その行動をした人によって異なる評価を下したことはないでしょうか?
例えば、好きな人からプレゼントをされたら何をもらっても嬉しいのに、嫌いな人からプレゼントされたものは何をもらっても嬉しくないというような経験があるなら、あなたは情報空間における「空」をすでに実感していることになります。
そしてもしあなたが「現実も夢も、目を閉じたり口を閉じれば同じ」という発想にリアリティーを感じることができるのであれば、ものすごい発見に辿りつくはずです。
それは……現実は幻であるという考え方です。
唯識(ゆいしき)
仏教には唯識(ゆいしき)という考え方があります。
唯識とは、「人間の「識」(しき)以外にはなにものも実在しない。実在するとするのは妄想にすぎない。悟るためには、この妄想を打ち破らなければならない」という考え方です。
例えば、つまらない日常がある瞬間から素晴らしい日常に変わるということはあり得ます。わかりやすい例としては、宝くじの高額当選者のことを想像してみるといいでしょう。
もっと身近な例でいえば、受験の合格発表の時を思い出すといいでしょう。合格発表当日を迎えた受験生は、受験番号を発見するかしないかによって、嬉しくなったり悲しくなったりするはずです。
そう。この世は幻なのです。
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