言葉にできない生きづらさや窮屈さ、先の見えない時代による徒労感を抱えてはいないでしょうか?具体的には・・・
たくさんの人が生きづらさを抱えています。わたしのウェブサイトだけでも毎日100人以上の幅広い年代のひとたちが、「生きづらい」、「死にたい」、「自分が嫌い」、「消えたい」、「これ以上苦しみたくない」などの悩みを抱えて訪問しています。
なぜたくさんの人たちが「生きづらさ」を感じているのでしょうか?理由は2つあります。
1つ目の理由は、「生きづらさの呪縛は一筋縄ではいかない」から。たとえば・・・
学校のイジメで自殺者がでれば、「逃げればよかったじゃないか」と思うでしょう。ブラック企業で過労死する人や自殺者がでれば、「辞めればよかったじゃないか」と思うでしょう。
カルト宗教に貢いで生活苦に陥っている人がいれば、「絶対にやめたほうがいいのに」と思うでしょう。いつも仕事の愚痴ばかりの人がいれば、「好きでもない仕事はやめればいいのに」と思うでしょう。
しかし学校も企業も宗教も、そう簡単にはやめられないし、逃げられないのです。なぜでしょうか?その答えが2つ目の理由になります。
2つ目の理由は、「不自由に縛られているという自覚すらないから」です。つまり「生きづらい」、「死にたい」、「自分が嫌い」などの悩みを抱える背景には、『自己責任』(あなたが悪い)だけでは片づけられない構造的な理由がちゃんとあるのですが、構造的な理由であるがゆえに、当事者はそのことに気づくことすらできないのです。
そこで本レポートでは、あなたが何に縛られているのか?という点を明らかにしていきたいと思います。なぜならば何に縛られているか気づくことができなければ、「生きづらさ」から抜け出すための「自由な選択」ができないからです。
自由な選択をすることができなければ・・・・あなたは不自由のままでしょう。理不尽だと思うことに我慢してストレスをため続けるでしょう。心の底から笑うことはできず愛想笑いばかりの「停滞の道」を歩むハメになるかもしれません。
もしあなたが生きづらさを抱えているなら・・・我慢・ストレス・愛想笑い・停滞を続けたくなければ・・・本レポートが突破口になるはずです!早速はじめましょう!
ホリエモンこと堀江貴文氏は刑務所の中で「みんな塀の中にいるわけでもないのに、どうしてそんな不自由を選ぶんだ?」と疑問に思ったそうです。(出典:ゼロ――なにもない自分に小さなイチを足していく)
ようするに誰もが自由であるはずの日本という国において、「人はなぜか、不自由を選択している」というのが堀江貴文氏の問題意識なのですが、実際のところ・・・なぜわたしたちは、不自由を選択しているのでしょうか?
堀江貴文氏の「ゼロ」と同じ2013年に発売された『嫌われる勇気』が、日本では大ヒットしました。ちなみに『嫌われる勇気』というのは、フロイト・ユングと並び、心理学の三大巨頭と称されているアルフレッド・アドラーの思想を紹介したベストセラー&ロングセラー本のタイトルです。
ようするに「すべての悩みは、対人関係の悩みである」のがアドラーの問題意識であり、自由を獲得するために他人から嫌われることを恐れるな!というのがアドラー流の「自由への道」への処方箋だったわけです。
『ゼロ』は累計50万部以上売れているらしく、『嫌われる勇気』にいたっては日本だけで累計276万部以上売れており、2013年の初版から11年が経過した2024年7月1日時点においてもAmazonの売れ行きベスト100以内にランキングされています。
どんな本が売れているのか?ということを分析するだけでも、「生きづらさ」を感じている人が日本にはたくさんいて、その傾向はすくなくとも10年以上続いており、しかしながら「生きづらさ」をなかなか解消することができない現実が浮かび上がってきます。
一体、どこに「生きづらさ」を解消するボトルネックがあるのでしょうか?
「みんな塀の中にいるわけでもないのに、どうしてそんな不自由を選ぶんだ?」という堀江貴文氏の問題意識に、そもそもの間違いがあったのです。
現実の日本社会を観察すればするほど・・・ひとりひとりが主体的に「不自由を選んでいる」というよりは、ひとりひとりが「不自由を選ばされている」ことに気づくはずです。(この点については、後ほど解説します。)
つまり「生きづらさ」を抱えている人の多くは、自分で何かを選んでいると思っているのですが、実際には「選ばされている」のです。なぜ、そんなことが起るのでしょうか?
理由は単純です。「人間の脳の仕組みが、そのようにできているから」です。人間の脳は、自分で自分を縛りつける力を生まれつき持っていて、フランスの哲学者ミシェル・フーコーはその力のことを「バイオパワー(生権力)」と命名しました。(出典:監獄の誕生)
ようするにわたしたちはバイオパワーに従うと心地よく感じるため、バイオパワーに沿った行動には積極的になれます。逆にバイオパワーに逆らうと心地悪くなるため、バイオパワーに沿わない行動にはブレーキをかけてしまうのです。
とはいえバイオパワーとは、具体的にどのようなものなのでしょうか?
ミシェル・フーコーによれば、人間は権力の意志によって自分で自分を縛り、縛られた状態で生きることに安定と快適さを感じるというのです。
たとえば権力の目的に沿う生き方ができた場合には、富と地位が与えられる・・・ひらたくいえば、偉くなれる・・・となれば、権力に縛られた状態で生きることに安定と快適さを感じるでしょう。そうやってバイオパワーは、人間をからめとっていくわけです。
実際に、権力に従えば得になると判断し、政府を熱烈に擁護する御用学者や御用評論家と思(おぼ)しき人たちは珍しくありません。たとえば2024年6月には、タレントの眞鍋かをりさんが小池百合子東京都知事を擁護する発言をして、X(旧ツイッター)では「眞鍋かをり」がトレンド入りしました。
そして「生きづらさ」を感じているわたしたちにとって重要なことは、わたしたちを縛っているものは、権力に限らずあらゆるところに存在するということです。たとえば家庭・教育・主義・歴史・憲法・放送・選挙・法律・お金・宗教・SNS・・・・といった具合です。
それらすべてを解説すると話が長くなりすぎてしまうので、ひとつだけ具体例を紹介しておきましょう。
東京大学名誉教授の安冨歩(やすとみあゆみ)さんが、ある人から人生相談をされたときに、「まずは明日、会社を休んでください!」とアドバイスしたところ、「う~ん・・・それはちょっと・・・」と抵抗されたそうです。
仕事を休むことは不可能ではないはずなのですが、現実問題として過労死する人は珍しくありません。たとえば研修医の高島晨伍(しんご)さんは、100日間休みなく働き続けた末に、自ら命を絶ちました。
母の高島淳子さん曰く、『働きすぎはよくないよ』私はそう言いましたが、息子は、『そんなことわかってる。休みたいけど、休めないんや……。もう、明日起きたら、全てがなくなっていたらいいのに』と言っていましたとのこと。
遺書にはこんな言葉が残されていたそうです。
「お母さんに辛い思いをさせるのが苦しいです。もっといい選択肢があると思うけど、選ぶことができなかった」
つまり高島晨伍(しんご)さんは、「相手のいうことを受け入れて従う以外に、自分は生きていくことができない」と思い込んでいたわけですが、ここでいう「相手のいうこと」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか?
過労死を訴える遺族に対して、高島晨伍(しんご)さんの勤務先だった甲南医療センターの具英成(ぐえいせい)院長は、「医師はまさに生涯教育。一生涯勉強という典型的な仕事。自己研鑽がこの職業のコインの裏表のようについている」とコメントし、「自己研鑽は労働に含まれない」と主張しました。
察するに、「24時間、365日、死ぬまで働け」という無言の圧力が病院には蔓延しており、高島晨伍(しんご)さんはこの圧力から逃れることができなかったのです。
どうすれば・・・バイオパワーの呪縛から逃れることができるのでしょうか?
自由には、英語で2種類の単語があります。フリーダム(freedam)とリバティ(liberty)です。どちらも日本語では「自由」ですが、意味合いはまったく異なります。
フリーダムは「~からの自由」という意味であり、リバティは「~をする自由」という意味です。ここにわたしたちがバイオパワーの呪縛から逃れるヒントがあります。
フリーダムは「強制労働から自由になる」、「束縛から自由になる」といった他人の支配から逃れるという意味合いをもっています。ですからもちろんフリーダムを実現することは重要ですが、それだけでは半分しか「自由」とはいえません。
なぜならば「~をする自由」、言葉を変えれば「束縛される自由」もあるからです。たとえば野球の大谷翔平選手は、徹底した食事制限を自らに課しているそうですが、これはみずからの意志で「徹底した食事制限をする自由」を選んでいるわけです。
レポートの冒頭で「何に縛られているか気づくことができなければ、生きづらさから抜け出すための自由な選択ができない」とお伝えしましたが、前半部分(何に縛られているか気づく)は「フリーダム」について、後半部分(自由な選択)は「リバティ」に言及していたわけです。
さて・・・「生きづらさ」を感じているわたしたちにとっての最初の課題は、フリーダムの達成です。そのためにまずは「束縛されている」という現実を認め、束縛の原因を探ってみることが重要です。
もしあなたが「生きづらさ」や「自分が嫌い」という感情に悩んでいるなら・・・あなたは何に縛られているのでしょうか?
自分が何に縛られているのかを突き止めるコツは、「他人の言葉」を思い出してみることです。
わたしの場合、物心ついた5歳か6歳のときに、父親とベランダで夕焼けをみていると「将来、何になりたいの?」と質問されて、なにげなく「お金持ちになりたい!」と答えたら、「それなら、いい大学にいかなきゃダメだな」といわれました。今から振り返ると、その一言が受験勉強に縛られるキッカケだったと思います。
あなたはどんな「他人の言葉」に縛られているでしょうか?他人から言われたことすら忘れているような、ほんの些細な一言に縛られていないでしょうか?
犯罪心理学者の出口保行(でぐちやすゆき)先生は、「みんなと仲良く」が個性を破壊し、「早くしなさい」が先を読む力を破壊し、「頑張りなさい」が意欲を破壊し、「何度言ったらわかるの」が自己肯定感を破壊し、「勉強しなさい」が信頼関係を破壊し、「気をつけて!」が共感性を破壊する可能性について指摘しています。(出典:犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉)
行動するときには、必ず自分の行動を縛っているものがあります。その自分を縛っているものの正体は、つきつめて考えてみると「情報」です。つまり「他人の言葉」です。本レポートを読んでいて、あなたはどんな「他人の言葉」を思い出しましたか?
さて・・・まずは「束縛されている」という現実に気づくことが、あなたを生きづらさから解放する最初の一歩になることを確認した上で、もう少し議論を深めていきましょう。
そもそも「子どもの頃に母親から言われた」、「学校の先生から教わった」、「友達からいわれた」何気ない一言に、なぜ縛られてしまうのでしょうか?
何気ない一言に縛られてしまう理由、それはズバリ・・・何気ない一言が「恐怖」に結びついているからです。
たとえば「いい大学に合格すれば勝ち組、不合格なら負け組」とか、「結婚しないと将来孤独死する」とか、「4,000万円貯蓄しないと老後の生活に困る」といった恐怖が、受験・婚活・投資・就活・労働などの行動に、わたしたちを駆り立てているのです。
しかも日本では「自己責任論」が蔓延しているので、マジメな人ほど「頑張らないわけにはいかない」と自分で自分を追いつめてしまうのです。さきほど紹介した具英成(ぐえいせい)院長の言い分も、つまるところ「自殺した原因は、自己研鑽」という自己責任論であることは注目に値します。
そしてここからが重要なポイントなのですが・・・「勝ち組・負け組論」と「自己責任論」に縛られると、自分のことで精一杯になり他人のことには「無関心」になりやすく、自分にとって少しでも得になるような「ポジション競争」(椅子取り合戦)に励むようになります。
するとわたしたちは「生きづらさ」を感じやすくなってしまうのです。
なぜならば・・・他人への「無関心」と、他人との「ポジション競争」は、仲間との連帯の喪失という甚大なる結果を招くからです。そして「連帯の喪失」がわたしたちに与える悪影響は、あなたが想像するよりも深刻なので、話の続きを聞いてください。
フランス社会学の始祖デュルケームは、「連帯の中にいなければ、人間は人間としての生活を営めない。連帯こそ人間生活の基礎だ。連帯からはずされると、人間は身の置き場がなくなってしまい、混乱の極みに達する。それがアノミーだ。」といいました。(参考:自殺論)
なぜデュルケームは連帯の重要性を強調しているのでしょうか?
デュルケームが自殺について研究を重ねていたとき、興味深い発見をしました。景気が悪いときに自殺者が増加するのは、誰でも想像できるのですが、景気が急上昇する大繁栄の時代にも自殺者は急増するのです。
好景気のときにも自殺者が増加するのはなぜか?デュルケームの説明はこうです。
デュルケーム曰く・・・経済が繫栄すると、成金が出現し、生活が飛躍的に向上する人が増える。お金持ちになるのだから不満などありえないと思いきや、そうではない。急に生活水準が向上することは、急に貧乏になったのと同様、当事者には耐えがたいことなのだ。
なぜ急に生活水準が向上することが、耐えがたいことなのでしょうか?カラクリはこうです。
お金持ちになれば、いままでと違ってお金持ちの仲間に入っていかねばなりません。ところが貧乏人の生活様式とお金持ちの生活様式は異なるため、ちょっと前まで貧乏人だった人間が、お金持ちの生活様式に仲間入りして溶け込むことは、そう簡単なことではないのです。
ようするに急にお金持ちになると、新しい環境に溶け込めず、誰にも相手にされず連帯がなくなり、その結果として、激しい心理的緊張のなかに置かれてしまうのです。
そのような混乱の極みの状態、つまりアノミーの状態に長く耐えることはできず、さんざん苦しんだ挙句に、精神病、破壊行動さらには自殺に追い込まれてしまう・・・以上がデュルケームの説明なのですが、この話には続きがあります。
世界の三大ベストセラーは、『聖書』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』、そしてマルクスの『資本論』といわれていますが、マルクスは「世界の労働者よ、団結せよ」という言葉を残しました。
しかし現実には・・・世界の労働者は団結できないのです。なぜでしょうか?答えはシンプルです。労働者が団結するためには、資本家と労働者がきちっと区別されていなければいけないわけですが、現実問題として、どこからどこまでが自分の仲間なのかよくわからないのです。
なぜ?どこからどこまでが自分の仲間なのか、よくわからなくなるのでしょうか?
実は・・・すでに答えはお伝えしています。さきほど「勝ち組・負け組論と自己責任論に縛られると、自分のことで精一杯になり他人のことには無関心になりやすく、自分にとって少しでも得になるようなポジション競争(椅子取り合戦)に励むようになります」とお伝えしました。
ようするに・・・ここは重要なことなので強調しておきたいのですが・・・アノミーに陥りやすくなる仕組みが、日本社会のなかに組み込まれているのです。たとえば、受験勉強が典型例でしょう。受験勉強では合格・不合格(勝ち負け)がハッキリします。そして合格・不合格は、建前では自己責任ということになっています。
そのため受験勉強中は、他人の成績のことを気にかける余裕はなく(無関心)、志望校に合格するために少しでも偏差値を上げる競争(椅子取り合戦)に勤しむハメになるのです。
中学受験をする場合には、受験勉強は小学生からはじまります。そして受験勉強自体は、大学(院)に入学するまで続くわけですが、残念ながら・・・勝ち組・負け組論や、自己責任論、他人への無関心やポジション取り競争は、大学を卒業してから先もずっと続くのです。
自分と同じ環境にいる友人たちが「潜在的には敵」という状況で、あなたは連帯できる仲間をつくれたでしょうか?
本レポートの冒頭で、「生きづらい、死にたい、自分が嫌いなどの悩みを抱える背景には、『自己責任』(あなたが悪い)だけでは片づけられない構造的な理由がちゃんとあるのですが、構造的な理由であるがゆえに、当事者はそのことに気づくことすらできない」とお伝えしました。
なぜ生きづらい、死にたい、自分が嫌いなどの悩みを抱える理由に気づくことができないのか?といえば、日本に住んでいると、日本社会のことが全部「当たり前」になってしまうからです。
たとえばインドにはカースト制度があり、カースト制度の最下層のシュードラ(隷属民)と呼ばれる人々は、生きている限り、絶対に上の階層に昇ることができません。上の階層にいくためには、一度死んで生まれ変わる必要があります。
日本人からすれば、これにまさる残酷なことはなく、そういう人々はおそらく毎日を悲惨な気持ちで送っているだろう・・・と考えるかもしれません。ところが現実はかなり違うのです。
シュードラ(隷属民)の人たちの生活は、たしかに楽ではないようなのですが、陰惨というよりは陽気と言ったほうがいいほどの暮らしぶりをしているらしいのです。なぜでしょうか?
まずシュードラ(隷属民)のひとたちは、最下層に生まれたことを、自己責任だと考えなくていいのです。神様が一方的に決めたことなので、勝ち負けにこだわる必要も、ポジション競争に必死になる必要もないわけです。現世を「そんなもの」と悟れば、それなりに楽しく暮らしていける・・・ということなのでしょう。
シュードラ(隷属民)のひとたちからすれば、身分制度がないがゆえに、自己責任の名のもとに、いつまでも続くポジション取り競争に投げ込まれている日本人のほうが「悲惨」なのかもしれないのです。
もしあなたが「生きづらい」、「死にたい」、「自分が嫌い」、「消えたい」、「これ以上苦しみたくない」などの悩みを抱えているのに、あなた自身もその理由がわからないなら・・・あなたの悩みの原因は、肉体的な病気でも、精神的な病のせいでもなく、「無連帯」(アノミー)である可能性があります。
無連帯になると「何が正しくて、何が悪いことなのか?」がよくわからなくなり、混乱の極みに達すると、あたかも精神病者のごとく見えることもあります。
また当事者の精神的苦痛は、それこそ気も狂わんばかりのものがあるので、本当に気が狂ってしまえば、どんなに楽だろうというところまで追いつめられることもあります。
しかし「無連帯」(アノミー)に陥ったひとたちの精神そのものは、まったくの正気なのです。あくまでも「無連帯」(アノミー)は、「社会的な病」なのであって、当事者が「死にたい」と口にしていたとしても、必ずしも精神が病んでいるわけではないのです。
だからこそ当事者がひとりでいかに悩み、いかに反省しようとも、苦しみの原因にはたどり着けないのです。
「無連帯」(アノミー)という「社会的な病」に対抗するには、どうすればよいのでしょうか?
ズバリ・・・対抗する手段は「人それぞれ異なる」です。なぜ「人それぞれ異なる」のでしょうか?
フリーダムとリバティの話を思い出して下さい。
フリーダムを実現するためには、「他人の言葉」に振り回されている可能性に気づく必要があります。いわば他人の欲望を満たすために、自分が踊らされている可能性に気づくことがフリーダムを実現する第一歩になることはすでにお伝えしたつもりです。(例:24時間、365日、死ぬまで働け!)
あなたはどんな「他人の言葉」に縛られているでしょうか?
一方でリバティを実現するためには、「自分の言葉」に縛られる必要があります。お悩み相談などで「どうすればいいですか?」というような質問が飛び交っている光景をよく見かけますが、「他人の言葉」ではなく、「自分の言葉」で自分を縛らなくてはいけないことに、まずは気づく必要があるのです。
あなたはどんな「自分の言葉」に縛られたいでしょうか?
ようするに「無連帯」(アノミー)という「社会的な病」に対抗するには、2つの方向性があるのです。
2つの方向性のそれぞれについて、参考になりそうな情報を継続的にお届けするのが『RICH STRATEGY』の役割なのですが・・・会員になったばかりの方に向けて、てっとり早く理解を深めてもらいたいという願いを込めて、追加でレポートを2つ用意しています。
まずは、わたしたちを「勝ち組・負け組論」や「自己責任論」に縛る原因について解説しているレポート『生きる力を奪うシステム』を参考にしてください!