グローバル化とは『資本移動自由化』です。資本移動が自由になると、賃金の安い国との競争に巻き込まれやすくなり、ある日突然仕事が失われます。その結果、格差と貧困が進んで中間層が分解します。
日本が『一億総中流』だったのも過去のことです。個人が不安と鬱屈にさいなまれるようになり、ヘイトスピーカーやクレージークレーマーがあふれるポピュリズム社会になりました。
そのような状況で「よくわからない」ことがあると、極端な意見をいう人ほど大衆に支持されるようになります。なぜならば極端な意見ほど、不安や鬱屈を解消してくれるからです。
不安と鬱屈にさいなまれる社会を立て直す鍵はどこにあるのでしょうか?今回はそんなことを考えるヒントになりそうな映画を紹介します。
予告動画)帝一の國
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
民主主義が壊れる
壊れた民主主義を手当てするための方法として、エリートによる全体主義的な方向付けが必要であるとの主張があります。(例:法学者キャス・サンスティーン、政治学者ジェームズ・フィッシュキン)
エリートによる全体主義的な方向付けとは、日本の裁判員制度をイメージするのがわかりやすいのではないでしょうか。素人である裁判員は、裁判官から『法律に関する知識』や『刑事裁判の手続』について説明を受けることで、はじめて裁判員としての役割を果たすことができます。
民主主義は自然のものではなく、人の手でつくったものです。ですから当然、民主主義を回すために必要な土台(前提)があります。しかしその土台(前提)は、民主主義で調達できるとは限らないのです。(例:自立した個人)
すなわち「民主主義が調達できない、しかし民主主義に必要不可欠な前提」がある。その前提は民主主義では調達できない。である以上、エリートによる手当は必要になる……というのが法学者キャス・サンスティーン、政治学者ジェームズ・フィッシュキンの論理です。
ここでエリートの導きにより民主主義が手当てされるのであれば、めでたしめでたし……と誤解してはいけません。話はそこで終わらないから厄介なのです。
なぜ総理大臣になりたいのか?
映画『帝一の國』に登場する帝一の夢は「総理大臣になり、帝一の国をつくること」にあります。ではなぜ?帝一は総理大臣になりたいのでしょうか?ここに無視できない論点があります。
グローバル化により民主主義の健全な作動が危うくなるので、エリートによる手当が必要になるにしても、「エリートが公の利益のために活動するとなにゆえに信じられるのか?」という問題が残るのです。エリートが日本国民に貢献しようとするのではなく、単なる蓄財動機のために働く可能性だってあります。
だからこそ三島由紀夫は「東大全共闘との討論会」で、全共闘エリートが国民共同体(日本)への貢献動機をもつかどうか疑い、天皇陛下への帰依(きえ)を要求したのです。
事実、三島由紀夫は「君たち(東大全共闘)が天皇万歳とさえいってくれたら共闘する」とまで断言しています。
政治とカネ
日本では「政治とカネ」が問題として取り上げられることがよくあります。しかし民主主義というものは水と空気のようにタダではないのです。だから民主主義を回すためにはコストが必要です。政治にはお金がかかるのです。
日本人は民主主義にはお金(コスト)がかかることを忘れています。だから「政治とカネ」といわれると反射的に「悪いこと」と認識する習性がついています。しかし本来、「国民の長期的な利益になる」と政治家が確信できるのであれば、むしろどんどんお金を使うべきなのではないでしょうか?
たとえば子育て支援で明石市を有名にした泉房穂(元明石市長)さんは、市民から「もっと税金高くしてくれ!」とお願いされたそうです。その理由はシンプルに「明石市がお金を使ってくれるほど、市民の生活が豊かになるから」です。
「政治とカネ」自体が悪いことではないのです。「政治のためにお金を使う、政治家」と「お金のために政治を利用する、政治屋」を見分けることが重要なのです。
■ 社会を学べる映画集