【要約】嫌われる勇気

『嫌われる勇気』は、哲人と青年による対話形式の物語です。そして対話形式であること自体に、大きな意味があります。ですからわたしは要約することに否定的なのですが、「要約してほしい!」というニーズを無視するわけにもいかないので、今回、要約に挑戦してみたいと思います。

但し、繰り返しになりますが『嫌われる勇気』は対話形式であること自体に大きな意味があるので、今回紹介する『嫌われる勇気』の要約は、復習の目的でご活用いただくことを想定しています。また『嫌われる勇気』には登場しない表現を用いていることもありますが、ご容赦ください。早速はじめましょう!

青年の価値観

『人は変われる』『世界はシンプル』『誰もが幸せになれる』という哲人の主張に、青年は真っ向から反対します。そもそも青年は、誰もが幸せになれるだなんて考えていないのです。青年の考える幸せとは、特別な存在にのみ許される特権のようなものだからです。

特別な存在とはたとえば、「受験戦争に勝利する」「有名企業に入社して出世街道を突き進む」「オリンピックで金メダルをとる」「ノーベル賞をとる」などの条件を満たした人のことです。そのためには「いい学校・いい会社・いい人生」というようなスローガンを守ることが重要になってきます。

ようするに青年は、幸せを掴むためには競争に勝ち抜く必要があると考えているのです。競争社会でもがき続ける青年は、「他者は敵」「世界は危険なところ」「他者の幸福はわたしの負け」「他者の不幸はわたしの勝ち」というような価値観に、いつしか染まってしまっているのです。

以上のような価値観で青年自身を評価するなら、青年はどのような立ち位置にいるのでしょうか。青年は自分自身のことを『負け組』だと感じているようです。実際問題として、青年は自分の仕事に価値を感じていないし、父親との関係はうまくいっていないし、恋愛経験はあるものの現在はフリーという状況に甘んじています。

『負け組』である青年は、誰も自分のことなんか好きになってくれるわけがないと確信しており、自分に対して劣等感を感じています。そして幸せになる道は「特別」になること。つまり承認欲求を満たすことだと信じているのです。裏を返せば青年にとって他人から嫌われることは、もっとも幸せから遠ざかることなのです。

哲人の価値観

哲人は5回にわたる青年との対話によって、青年の抱えている悩みは青年の内面にあるものではなく、根本的な原因は対人関係にあることを喝破(かっぱ:ハッキリいうこと)します。

青年は、他人と比較して自分が劣っていると感じれば劣等感を抱え、逆に自分が優れていると感じれば優越感に浸るのです。いずれにせよ青年は他人からの評価を基準にして競争し、その結果……承認欲求を満たせれば幸福であり、承認欲求を満たせなければ不幸だと考えているのです。

つまり青年の悩みは、対人関係における「他人からの評価」のうち、自分が受け入れた主観的な評価から生まれているのです。青年が感じている劣等感はあくまでも劣等『感』なのであって、客観的な劣等『性』ではないのです。

とはいえ青年は自分が抱えている不幸を、どうしたら克服できるかわかりません。なぜならば青年は、いま現在自分は負け組であり、いま現在負け組である自分の未来だって負け組になるに違いない……と予測しているからです。

哲人は、青年の考え方が『原因論』であると退けて、かわりに『目的論』を採用することを提案します。

『目的論』の立場で青年の状況を考えれば、青年が過去の不幸を持ち出す原因は「現在の青年が不幸だから」という結論になります。そして現在の不幸な状態から脱却するためには、これから先の未来を幸福にするしか方法はない……と考えるのが目的論です。これから先の未来を幸福にするとは、具体的にどういうことでしょうか?

青年の悩みの根本的な原因が、対人関係に起因している以上、「これから先の未来を幸福にする」の中身は、対人関係を良好にすること以外にはあり得ません。哲人は、人間関係のうち仕事・交友・愛を『人生のタスク』として挙げ、それらから逃げずに立ち向かうことを提案します。

しかし哲人の主張する幸福は、青年が主張する『幸福』とは大きく異なります。競争をベースにした価値観における仕事・交友・愛の成功とは、「一流の仕事をする」「限られた人しか参加できないコミュニティーの一員になる」「とびきりの美人と結婚する」というようなものになるでしょう。

一方で哲人は、競争から生まれる承認欲求を否定します。競争を否定し、承認欲求をも否定するのが哲人の立場です。競争して承認欲求を得るという自分中心の考え方から、共同体感覚といういわば「自分を全体の一部とする考え方」へのシフトを、哲人は提案しているのです。

共同体感覚があれば……自分自身が特別な存在でなくても受け入れることができるし、損得勘定を抜きにして他者を信頼することができるし、他者への貢献感を得ることができる……のです。ようするに「他者の幸せが自分の幸せ」という境地に至ることが幸せに至る唯一の道だ……というのが哲人の主張です。

そして共同体感覚の入り口には、『課題の分離』があります。つまり自分の課題と他者の課題を明確にし、他者の課題に無許可で立ち入ることをせず、逆に自分の課題に無許可で他者を立ち入らせることがないようにすることが、共同体感覚の大前提になっているのです。

ですからここで注意するべき点としては……他者への貢献感とは、他者にお節介を焼くことでもないし、他者を自分の価値観に沿うようにコントロールすることでもないし、他者を支配することでもない……ということです。他者への貢献感とは、他者への共感をベースにした援助から生まれるものなのです。

『課題の分離』から共同体感覚に至るには、どうすればよいのでしょうか?まずは競争社会では当たり前の「縦の人間関係」から脱却し、お互いを対等の人間として尊敬しあう「横の関係」を一つでも構築することが重要です。そのためには「他人から嫌われたくない」という傾向性に抗い、いまの自分にないものに目を向けて悲観するのではなく、今の自分にできることに集中することが重要です。

まとめ

まず「人は変われない」というのは、原因論的な発想です。目的論的な発想をすれば「人は変われる」という結論になります。

また「世界は複雑である」というのは、客観的な価値観をむやみやたらに受け入れた結果です。世界観というものは主観的なものであることを認識すれば、「世界はシンプル」であることを実感できるでしょう。

さらに「特別な人しか幸せになれない」というのは、競争の結果として得られる承認欲求だけが幸せの源泉になると信じているからです。『課題の分離』を大前提に、「横の関係」を構築し、共同体感覚を実感できれば……「誰もが幸せになれる」ことを実感できるはずです。

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