アドラー思想の全体像

アドラー虎の巻』(PW:5555)で説明したとおり、アドラーの思想を言葉だけで説明することはほとんど不可能です。しかし言葉で説明すること自体が無意味・・・というわけではありません。

たとえば地球は三次元で丸い形をしていますが、二次元の世界地図をつくることには意味があります。もちろん世界地図は正確な情報を提供してくれるわけではないのですが、世界地図があることによってわたしたちは、世界の全体像を簡単に把握することができるのです。

というわけで、アドラー思想の全体像を手軽にチェックできる記事を執筆することにしました。「わかりやすさ」を重視したため、盛り込めなかった概念もたくさんありますし、それぞれの詳細な説明も省略せざるを得ませんでした。しかしアドラー心理学のおおよその全体像を把握するのには役立つと思います。

アドラー心理学は科学であり哲学でもあるため、どこまで説明すればいいのか迷うこともありました。そのため本記事はそれなりに長くなってしまいましたが、アドラー心理学に関する書籍をゼロから読み始めて、自力でアドラー心理学について理解するのに比べれば、100分の1の労力でアドラー心理学を理解することができると自負しています。是非、参考にしてください!

問題

アドラーは「個人心理学(アドラー心理学)に興味をもつのは、人生の問題に直面した時だけだ」というようなことを言っています。あなたがアドラー心理学に興味をもったきっかけはなんでしょうか?子育てでしょうか?自己啓発でしょうか?あなたは現在、どのような問題に直面しているでしょうか?アドラー心理学は、あなたをどう助けてくれるのでしょうか?

「すべての悩みは対人関係の悩みである」とアドラーは主張しているぐらいですから、アドラー心理学ではあらゆる対人関係の問題を論じることができます。そして一見すると対人関係とは関係ないように思える問題、たとえば神経症子どもの問題行動犯罪アルコール依存症自殺なども、対人関係の問題に還元できるというのがアドラー心理学の発想です。

なおアドラーは100年以上前の時代を生きた人ですが、もしアドラーが現代日本を観察していたら、ひきこもり、過労死、孤独死、闇バイト、飲酒運転や交通ルール無視などの社会問題も、個人心理学(アドラー心理学)で検討するべき重要な問題として取り上げたことでしょう。

さて・・・アドラーはあらゆる悩みが『症状』であることを喝破しました。つまり神経症、子どもの問題行動、犯罪、アルコール依存症、自殺、ひきこもり、過労死、孤独死などの『あらゆる悩み』は症状なのであって、それらすべては対人関係の問題であると主張したのです。

症状・問題・原因

「すべての悩みは対人関係の悩みである」というアドラーの意見が、もし正しいのであれば、対人関係を改善すれば悩みも解消することになります。ですから対人関係を改善するノウハウとして、アドラー心理学が注目されることもあります。

とはいえ、わたしたちにとって対人関係というものは、生まれてから死ぬまで身近なものであるはずです。だとすれば年齢を重ねれば重ねるほど、対人関係のスキルは向上してもいいはずです。

それにも関わらず、なぜわたしたちは対人関係の問題に、頭を悩ませているのでしょうか?いくつかの補助線を引きつつ、核心に迫っていきたいと思います。

人生の課題

アドラーは、ダニエル・デフォーの小説の主人公であるロビンソン・クルーソーを引き合いにして、性格について論じています。アドラー曰く・・・船が難破し、無人島で暮らすことを余儀なくされたロビンソン・クルーソーにとっては、自分がどんな性格を持っているかは問題にならない・・・というのです。

ロビンソン・クルーソーは27年間も無人島でサバイバルすることに成功するわけですが、ロビンソン・クルーソーのような事例はレアケースであり、レアケースであるからこそ小説のテーマになっているのです。そう。わたしたちは一人で生きているわけではないからこそ「対人関係の悩み」に直面するわけです。

とはいえ、人間関係にはプラスの面もあります。わたしたち人類は、集団をつくることで社会をつくり文明を発達させてきました。人類は、たった一人で生存できるほど強くありません。たとえば赤ちゃんが大人になるためには、周囲の大人たちの助けが必要不可欠です。

つまり社会で生きるということは誰かに助けてもらうことなわけですが、裏を返せば、社会を生きることは誰かを助けることでもあります。ちなみにアドラーは、わたしたちが社会で生きる上で必ず直面する『人生の課題』として、仕事、交友、愛の3つの課題を挙げています。

さて・・・『人生の課題』というものは、社会のなかで生きていく以上は避けることのできない問題であり、だからこそ「すべての悩みは対人関係の悩みである」という名言が生まれたわけですが・・・どうすれば『人生の課題』に上手に対処できるのでしょうか?

もちろん「誰かに助けてもらう」と同時に「誰かを助けること」が、『人生の課題』に上手に対処する鍵になるわけですが、もう少し深堀していきましょう。

勇気スパイラル

『困ったときはお互い様』という言葉の言い回しがありますが、「お互い様」ではなく「一方通行」であれば、その関係は長くは続かないでしょう。

あなたが困った時、誰かに助けてもらうならば、誰かが困ったときはあなたが助けなければなりません。ここでよく議論されるのが「自分が助けるのが先か、自分が助けてもらうのが先か」という議論です。

アドラーは、こんな言葉を残しています。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

【引用:恋愛はいかに成就されるのか

ひらたくいえば『他者貢献せよ!』というのがアドラーの教えではあるのですが、他者貢献せよ!といわれても、スムーズに他者貢献できないケースも珍しくありません。

たとえば電車で座っていて、目の前に席を譲りたい人がいるのに席を譲れなかった・・・という経験はありませんか?なぜ他者貢献できないのか・・・といえば、他者を信頼する気持ち(以下、他者信頼)が足りないからです。

わたしの場合、目の前の高齢者に席をゆずろうとしたのですが、「わたしは高齢者ではない!」と怒られてしまった経験があります。他者が仲間というよりは敵だと思うとき、誰かを助けようと思えないし、誰かの助けを受け入れることだってムズカシイのです。

どうすれば他者信頼のレベルを上げることができるのでしょうか?実は・・・他者を信頼するためには尊厳(自己受容)が必要になります。尊厳(自己受容)とは、なんでしょうか?

尊厳とは人生うまくいかなくても過剰にみじめにならず、自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分は他者に受け入れられる存在だ・・・と思えることです。

尊厳が低い人は、「自分は他者に受け入れられる存在である」ということを確信できないため、他者の前で思い通りにふるまうことができません。たとえば見ず知らずの他人に電車で席をゆずることすら、ためらうかもしれないのです。

尊厳が低い理由が、能力であれ、性格であれ、信仰であれ、尊厳が低い場合には「自分はバカにされるんじゃないか?」、「自分は許されない存在なんじゃないか?」などと自分のことばかりに意識が集中してしまい、他者を信頼するどころか、他者に意識を向けることすらできないのです。

尊厳を高めるにはどうすればよいのでしょうか?尊厳(自己受容)を育てるためには、他者貢献によるフィードバックが必要になります。他者たちと交流する中で思考錯誤を繰り返し、「みんなはこういうことで喜んでくれるんだ」ということを学んで経験値を高め、「自分はたいてい大丈夫」という具体に、尊厳を高めていくのです。

ようするに、他者貢献、他者信頼、自己受容(尊厳)は、すべてがつながっているのです。

勇気スパイラル

わたしはこのスパイラルを「勇気スパイラル」と名付けています。なぜならば「自己受容」⇒「他者信頼」⇒「他者貢献」のスパイラルを回せば回すほど『勇気』が湧いてくるからです。

さて・・・勇気スパイラルを回し続けることで、アドラーは『共同体感覚』を発達させなければならないと主張しました。共同体感覚とは、「自分は社会の一員である」(自己受容)という感覚であり、「他人は敵ではなく味方である」(他者信頼)という感覚であり、「困ったときはお互い様」(他者貢献)という感覚のことです。

アドラーは共同体感覚を発達させることができれば「人間の文明の進歩には限界はない」とまで主張しているのですが、逆に共同体感覚を育てることができなければ、どうなるのでしょうか?

不安スパイラル

漫画『鬼滅の刃』に登場する煉獄杏寿郎は、母親から「あなたが他の人よりも強く生まれたのは、弱き人を助けるためです」と教育されて育ちました。

https://www.youtube.com/shorts/yDH7u5CE9do?feature=share

鬼滅の刃は大正時代の物語ですが、同じ大正時代に内閣総理大臣になった高橋是清(たかはしこれきよ)にも同様のエピソードがあります。高橋是清の祖母は、アメリカに行くことになった14歳の高橋是清を呼んで、ひと振りの短刀を手渡すときに、こんなことを言ったそうです。

これはババの心からの餞別です。でも、けっして人を害するためののではありません。男は名を惜しむことが第一です。義のためや、恥をかいたら、死なねばならないことがあるかもしれない。その万一のときのために授けるものですぞ。

【引用:高橋是清伝】

一昔前の日本人は、弱き人を助けることや、名を惜しむことに関心をもっていました。現代の母親は、子どもにどんな言葉を投げかけているでしょうか?

おそらく「勉強しろ!」ではないでしょうか?受験戦争に参加して、少しでも偏差値の高い学校に入学し、大企業や安定した企業に入るために努力せよ、とアドバイスするのではないでしょうか?

そう。現代日本では、勇気スパイラルを回し続けることで『共同体感覚』を育てていくことよりもむしろ、不安スパイラルを回すことが推奨されているのです。不安スパイラルとは・・・

不安スパイラル

受験戦争に参加すれば、学校のクラスメイトは潜在的な敵になります。志望校に合格すれば優越感にひたり、不合格になれば挫折感に苦しむハメになります。そのような環境に育てば、得になる(意味がある)と期待できることには積極的になれますが、損をする(意味がない)と感じることには消極的になってしまうのです。そしてこのような損得勘定を基準にした行動パターンは、人間関係ひいては人生全体にも影響を与えていくのです。

あなたは勇気スパイラルと不安スパイラルのどちらを回しているでしょうか?なお不安スパイラルを上手に回そうと思えば思うほど、勇気スパイラルを回すことは嫌煙されるどころか無視される傾向があります。典型例は「恋愛は受験の邪魔になるから、我慢しろ!」というアドバイスです。

受験が終わったら恋愛できるのでしょうか?残念ながら・・・不安スパイラルには終わりがないのです。負け組になれば「勝ち組になるために、もっと頑張れ!」とプレッシャーをかけられ、勝ち組になれば「負け組になりたくなければ、もっと頑張れ!」とプレッシャーをかけられてしまうのです。

受験勉強を頑張って大学生になり、就職しても競争は続くのです。医者・弁護士・裁判官・官僚・政治家・大企業のエリートサラリーマン・・・いわゆる『成功者』になったところで、競争はそこからスタートするのです。

不安スパイラルには終わりがないという状況で、一体、いつ恋愛するのでしょうか?そもそも恋愛しようと思ったタイミングで、都合よく恋愛できるのでしょうか?失恋も経験せずに「いい恋愛」なんて出来るのでしょうか?

共同体感覚の欠如

これまでの議論を整理しておきましょう。アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」ことを喝破しました。対人関係の悩みをうまく消化できないのは、不安スパイラルを回すことばかりに熱心で、対人関係のスキルを軽視したまま大人になるからです。ようするに、対人関係の悩みが生まれる原因は「共同体感覚の欠如」にあるのです。

症状・問題・原因

かつての日本においては、自己責任(他者信頼)でなされた試行錯誤(他者貢献)により自信(自己受容)を育むことにより、共同体感覚を発達させるのが一般的でした。ようするに勇気スパイラルを回すのが一般的であり、それしか社会のなかでうまくやっていく方法などありはしませんでした。

しかしある時期から地域社会が空洞化し、その空洞化を『システム』(学校・行政・ビジネス・テクノロジー 等)が埋めるようになりました。そのため対人関係を軽視しても生きていけるだけでなく、尊厳のようなもの(プライド)を獲得できるようになったことで、不安スパイラルを回すことが推奨されるようになってしまったのです。

たとえば子どもが自己中心的で非協力的な人間であっても、ちょっと勉強ができる(できない)くらいで、親や教師が過剰にほめる(けなす)ので、「わたしはスゴイ(ダメな)はずだ!」とプライドを獲得(喪失)させるようなケースだって珍しくありません。結果としてプライドは高い(低い)一方で、共同体感覚は欠如しているというようなタイプの人間が、大量生産されているのです。

なおここで強調しておきたいことは、共同体感覚を欠如させる原因は、不安スパイラルを回すこと以外にも、たくさんのパターンがある・・・ということです。

アドラーは共同体感覚の発達させる準備は、子どもが誕生した最初の日からスタートすると指摘しています。具体的には・・・親が子どもを甘やかしたり無視したり、子どもが劣等器官(機能的に劣っているもともと生まれもった身体的な機能)をもっている場合には、子どもの関心が他者ではなく自分に向いてしまうため、共同体感覚の発達が妨げられる傾向がある・・・というのがアドラーの主張です。

そしてアドラーは、共同体感覚を欠如した状態を「不健全なライフスタイル」と呼ぶ一方で、共同体感覚がある状態を「健全なライフスタイル」と呼んでいるのですが・・・そもそもライフスタイルとは、なんでしょうか?

ライフスタイルとは?

人生のさまざまな課題に直面したときに、そのひとの態度を決めるものをライフスタイルといいます。

アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。

【引用:嫌われる勇気

たとえば自分が失敗したときに「もっと頑張ろう!」と自分に矢印を向ける場合もあれば、「失敗したのは社会のせいだ!」と他人に責任を転嫁する場合もあるでしょう。どちらを選択するのかは、個人のライフスタイル次第です。

またアドラーは、言葉遣い、姿勢、態度、感情表現などもライフスタイルから生まれるという発想をしています。

人は、感情を何か目に見える形で、姿勢や態度に、また、顔や、手足の震えに示すだろう。同様の変化は、器官それ自体に見出すことができる。例えば、赤くなったり青ざめたり、血液の循環が影響を受けている。怒り、不安、悲しみ、その他の感情は、われわれの「臓器言語」に表現される。そして、各人の身体が、それ自体の言語を話すのである。

【引用:人生の意味の心理学

そしてアドラー曰く、子どもの頃につくられたライフスタイルは、そのあとの人生にも影響を与えるというのです。

子どもの時のライフスタイルが、いかに後の人生にまで、しばしば驚くべき仕方で、再び見つけられることがわかる。

【引用:人間知の心理学

そしてアドラーは「不健全なライフスタイル」を変えない限り、生きることを楽しめないとまで断言しています。

子どもたちに共通する特徴、同時に、共同体感覚があまり発達していないことの顕著な兆候は、他の人のことよりも自分のことをより多く考えるということである。一般に、このような人は、悲観的な世界像を持つ傾向があり、誤ったライフスタイルから救済されなければ、生きることを楽しめないのである。

【引用:人間知の心理学

生きることを楽しめない「不健全なライフスタイル」とは、具体的にどのようなものでしょうか?

すでに強調したとおり、共同体感覚を欠如させる原因は、不安スパイラルを回すことに加えて、子どもを甘やかしたり無視したりするなど様々な引き金(トリガー)があるため、「不健全なライフスタイル」にもたくさんのパターンがあります。

ですから「不健全なライフスタイル」をすべて列挙して説明することはできないのですが、アドラーはシンプルに「劣等コンプレックス」、「優越コンプレックス」という概念で、「不健全なライフスタイル」について説明しています。具体的には・・・

不健全なライフスタイル

劣等コンプレックスとは、「自分はことさら他人よりも劣っている」と考える心理的な状況を、こじらせてしまった状態のことです。たとえば「A(ダメな原因)であるから、B(望ましい結果)できない」というような論理をふりかざすのが特徴です。

劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことを指します。具体的には「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考える。あるいは「わたしは器量が悪いから、結婚できない」と考える。

【引用:嫌われる勇気

劣等コンプレックスは、もっぱらアドラーの言葉でいうところの「ためらう態度」を正当化するために利用されます。そして「人生の課題」に対して「ためらう態度」が繰り返されると、結果として不登校、ひきこもりなどにつながることがあります。

ちなみにアドラーは、当事者本人は真実であると疑いもしていないような因果関係であるのに、周囲の人からすれば「本当にそうなの?」と疑問に感じる因果関係のことを「見かけの因果律」という概念で説明しています。

また不健全なライフスタイルとしては、劣等コンプレックスの他にも優越コンプレックスがあります。

優越コンプレックスとは、「自分はことさら他人よりも優れていなければならない」と考える心理的な状況を、こじらせてしまった状態のことです。たとえば「A(安直な手段)だから、B(望ましい結果)なのだ」というような論理をふりかざすのが特徴です。

強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない。かといって、「AだからBできない」という劣等コンプレックスでも我慢できない。「できない自分」を受け入れられない。そうなると人は、もっと安直な手段によって補償しよう、と考えます。あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。身近な例として挙げられるのが、「権威づけ」です。

(中略)

たとえば自分が権力者――これは学級のリーダーから著名人まで、さまざまです――と懇意であることを、ことさらアピールする。それによって自分が特別な存在であるかのように見せつける。あるいは、経歴詐称や服飾品における過度なブランド信仰なども、ひとつの権威づけであり、優越コンプレックスの側面があるでしょう。いずれの場合も「わたし」が優れていたり、特別であったりするわけではありません。「わたし」と権威を結びつけることによって、あたかも「わたし」が優れているかのように見せかけている。つまりは、偽りの優越感です。

【引用:嫌われる勇気

権威づけ」の他にも、自分でお金を稼ぐことを回避して他人を騙してお金を巻き上げようとする詐欺師、地道な努力の積み重ねを回避して一発逆転を狙い続けるギャンブラー、他人に何かを与えて対価を得ることを回避して他人から搾取もしくは他人を支配するタイプなども、優越コンプレックスの症状として挙げることができるでしょう。

以上、「不健全なライフスタイル」の典型例として劣等コンプレックスと優越コンプレックスについて紹介しました。もちろん「不健全なライフスタイル」は他にもあります。たとえば「アダルトチルドレン」タイプや、「脱社会的な」タイプなどさまざまな事例が報告されているのですが、勇気スパイラルを回し共同体感覚を発達させていく健全なライフスタイルではないという点では共通しています。

そして「不健全なライフスタイル」は、人生のさまざまな課題から逃げることを正当化するのです。ハッキリいってしまえば、自分も他人も欺く「人生の嘘」として機能するのです。

人は生きていくに当たって、人生の様々な課題に直面することを回避することはできない。それにもかかわらず、あれやこれの理由を持ち出しては課題から逃れようとする。持ち出される理由はいずれもそういうことならやむをえないと自分も他者をも欺く「人生の嘘」である。人生の課題に立ち向かうためには勇気が必要である。

【引用:勇気はいかに回復されるのか

しかし人生のさまざまな課題から逃げるかぎり、わたしたちは人生を楽しむことができないのです。どうすれば「不健全なライフスタイル」を「健全なライフスタイル」へと切り替えることができるでしょうか?

まとめ

ここまで読んでくれた方は、「すべての悩みは対人関係の悩みである」というアドラーの主張が理解できるのではないでしょうか?

ロビンソン・クルーソーのように対人関係がない環境で生きるのであれば、「自分の性格」などについて考える必要もないですし、対人関係がなければ他人を助ける必要もありません。しかしその反面、対人関係がなければ他人から助けてもらうことも期待できなくなってしまうのです。

たしかに現代日本では対人関係を軽視しても、社会のなかでうまくやっていける(と錯覚できる)システム(学校・行政・ビジネス・テクノロジー 等)が発達しているわけですが、対人関係を軽視した末に待っているのは『孤独死』です。ですから現代社会であってもマトモな人生を過ごしたいのであれば、アドラーのいう「人生の課題」に直面せざるを得ないわけです。

しかし「不健全なライフスタイル」たとえば・・・対人関係を完全に放棄したり(自殺)、対人関係から逃げ出したり(ひきこもり)、対人関係を悪用したり(犯罪)、対人関係との向き合い方がわからなくて右往左往したり(アダルトチルドレン)、対人関係のしがらみに強いストレスを感じて苦しむ(適応障害)・・・・・・などにより、仕事・交友・愛などの問題にうまく向き合うことができず、さまざまな悩みを抱えた状態から抜け出せなくなっている人もたくさんいるのが、現代日本の実態です。

ようするに「人生の課題」とうまく向き合えない理由は、共同体感覚の発達を阻む「不健全なライフスタイル」が、成長する過程でココロとカラダに染みついているからなのです。そしてライフスタイルはいわば「態度のパターン」なので、人生のあらゆる結果に影響を与えてしまうのです。

たとえば「ひきこもりタイプ」のライフスタイルがココロとカラダに染みついてしまっている場合には、人生の課題に直面しないように逃げ回ることが習慣になっているため、「たまたまチャンス(危険)を逃す(回避する)」というよりは、「いつも必ずチャンス(危険)を逃す(回避する)」状況に陥ってしまうのです。

どうすれば・・・悩みを抱えた状況から脱却できるのでしょうか?

ズバリ・・・共同体感覚の発達を阻む「不健全なライフスタイル」を「健全なライフスタイル」に切り替えよ!というのがアドラーの主張です。たとえば「不安スパイラル」を回すライフスタイルが、ココロとカラダに染みついている場合には、「勇気スパイラル」を回すことに挑戦してみることが、共同体感覚を発達させていくことが突破口になるはずです。

とはいえ・・・どうすれば「不健全なライフスタイル」を「健全なライフスタイル」に切り替えることができるのでしょうか?

対策

「不健全なライフスタイル」を「健全なライフスタイル」に切り替えていく上で、真っ先に警告しておきたいことがあります。

警告

アドラー心理学を自分の生活に取り入れたいと考えている方に、もしわたしが最重要のアドバイスを捧げるのであれば・・・「アドラーは参考にならない!」と声を大にして伝えるでしょう。アドラー心理学に影響を受けたわたしが、なぜあなたに「アドラーは参考にならない」などと伝えなければならないのでしょうか?

アドラーの著書を読むと、アドラー自身で行ったカウンセリングについて、いろいろなことが説明されています。たとえばクライエント(相談者)のライフスタイルを分析するための切り口(家族構成、早期回想、夢 等)を知ることができるし、カウンセリングの結果として「クライエント(相談者)のライフスタイルは・・・」というようなことまで述べられています。

しかし繰り返しになりますが・・・アドラーの著書を読んで「参考になる!」と感じたとしても、一般人のわたしたちはアドラーの手法を参考にできないのです。なぜならばわたしたちはアドラーではないし、そもそもカウンセリングというものは自分自身でやるものではないからです。医者が自分で自分の手術ができないように、自分で自分のカウンセリングはできないのです。

そもそも自分で自分のことは、よくわからないのです。人間は誰だって全知全能ではありません。つまり程度の差はあるかもしれませんが、人間は全員がバカなのです。それにも関わらず、わたしたちは自分自身がバカであることに気づくことができないのです。なぜならばバカだからです(笑)

ようするにわたしたちは全知全能ではないので、必ずわたしたちに認識には「盲点」があるのです。だからこそ他人にカウンセリングをしてもらうことに意味があるわけです。他人から指摘されてはじめて「そうかもしれない」と感じた経験はありませんか?

結論。自分で自分のカウンセリングはできないのです。である以上、自力で自分のライフスタイルは分析できないのです。ですからもしあなたが自分のライフスタイルを知りたいのであれば、プロにカウンセリングをお願いするのが近道です。

ちなみに、もしあなたが他人をカウンセリングをすることに興味をもっているのであれば、なおさらプロのカウンセリングを受けるべきです。その理由は「アドラー虎の巻」のなかで、すでに説明しています。野球の通信講座を受講するだけで、プロ野球選手になるのは不可能です。同様に、アドラー心理学はお稽古事であり、文字だけではマスターできないのです。

さて・・・ここまで読んだ人のなかには、「結局、プロのカウンセリングを受けろってこと?」とツッコみたくなっている人もいるかもしれないのですが、必ずしもそうではありません。

カウンセリングを受けてみないと、自分の「不健全なライフスタイル」がわからないのは確かです。しかし「不健全なライフスタイル」がわからなくても、「健全なライフスタイル」を身につけることは可能なのです。

実は・・・アドラーから直接カウンセリングを受けなくても、「健全なライフスタイル」を獲得するための思想が、アドラー心理学にはすでに組み込まれているのです。そこがアドラー心理学の秀逸なポイントだと思うので、これから説明したいと思います。

原因

さきほど劣等コンプレックスの事例として「わたしは器量が悪いから、結婚できない」という発想を紹介しました。つまり劣等コンプレックスを抱えている人は「過去に器量が悪い状態で生まれた」⇒「現在のわたしは結婚できていない」というような因果関係を信じているわけです。

同様に「わたしは学歴が低いから、成功できない」という発想も紹介しました。つまり劣等コンプレックスを抱えている人は、「現在は学歴が低い」⇒「未来のわたしは成功できない」というような因果関係を信じているわけです。

つまり多くの人は「過去が現在をつくり、現在が未来をつくる」という思想を疑いもなく信じているのです。「過去」という原因が「現在」という結果につながり(以下、「過去」⇒「現在」)、「現在」という原因が「未来」という結果につながる(以下、「現在」⇒「未来」)というわけです。

「過去」⇒「現在」⇒「未来」というような因果関係を認める考え方のことを『原因論』といいます。もしあなたが原因論を信じるのであれば、現在あなたが抱えている悩みの原因は「過去」にあるわけですから、現在を変えるためには過去を変える必要があるわけです。

とはいえタイムマシーンにのって過去を変えることは不可能です。そこで次善の策として、自分の過去の行動パターンを知ることで、現在および未来の活動に活かすという発想が出てくるわけです。しかし過去の行動パターンを知るということは要するにライフスタイルを分析するということを意味していることに注意が必要です。

残念ながら・・・すでに説明したとおり、わたしたちはライフスタイルを自力で分析できないのです。ここでわたしたちは出口のない迷路に入り込んでしまうわけですが、突破口がないわけではありません。

目的

アドラーといえば、劣等感という概念を提唱した人物として有名です。

劣等感という言葉を現在語られているような文脈で使ったのは、アドラーが最初だとされています。

【引用:嫌われる勇気

アドラー自身、ある時期までは劣等感を非常に重視していました。

人間であるとは劣等感を持つことである、と私が強調してもう長くなる。

【引用:生きる意味を求めて

具体的にいうと、アドラーは「劣等感は普遍的なものであり、劣等感をカバーするために優越感が刺激され、人は努力できるのだ」というようなことを主張していました。いわば劣等感⇒優越感という構造を主張していたわけです。

ここで注目するべきは、劣等感⇒優越感という構造は、過去⇒現在⇒未来の構造そのものだということです。なぜならば現在感じている劣等感はすべて過去の産物だからです。劣等感が過去のものであり、その劣等感が現在・未来に影響を与えるというのであれば、それはつまり原因論を主張していることになります。

しかし繰り返しになりますが、原因論を唱え続けるかぎりは、出口のない迷路に入り込んでしまうことになります。そのためアドラーはある時期から、劣等感⇒優越感という説明をしなくなります。

劣等感については、それが普遍的なものであり、病気ではなく、健康で正常な努力と成長の刺激であるといわれているのであるが、優越感が劣等感の補償に由来するのであれば、劣等感が優越感の原因であるように取れるので、やがて一般的な目標追求性の概念を提唱し、優越性の追求を、より根源的なものとして捉え、劣等感はそれの副産物と考えるようになった。

【引用:アドラーをじっくり読む

アドラーは、優越性の追求というものがまず先にあり、劣等感は優越性の追求の副産物であるという主張をはじめたのです。このような考え方を目的論といいます。

たとえば「過去・現在において貧乏だから、将来はお金持ちになりたい!」と動機づけられるのが原因論的な考え方だとするなら、「将来お金持ちになりたいから、現在・過去に貧乏だと感じていたのだ」と考えるのが目的論です。

つまり「過去⇒現在⇒未来」の構造を信じるのが原因論の立場であるなら、「未来⇒現在⇒過去」の構造を信じるのが目的論の立場です。このことは「時間の流れ」という文脈でも説明できます。

具体的には・・・時間というものは、過去から現在に流れ、そして現在から未来に流れていく・・・と考えるのが原因論の立場です。いわば時間という名の風があなたの背中を押し、あなたは時間と共に過去から現在、そして現在から未来へと押し流されていく・・・というように考えるのが原因論です。

一方で目的論の立場では・・・時間というものは、未来から現在に流れ、そして現在から過去に流れていく・・・と考えます。いわば時間という名の風が、あなたの目の前からやってきて、あなたを通り過ぎた風(時間)は、あなたから遠ざかっていくのだ、というように考えるのが目的論です。

実は・・・わたしたちは小学生の頃から「過去⇒現在⇒未来」の構造を叩き込まれているのですが、冷静になって考えてみると、目的論で考える方が自然だとわかるはずです。

実際問題として、現在は時間が経過すると過去になります。つまり時間は、現在⇒過去、のように流れているのです。そして未来がやってきて現在になることと考え合わせると、「未来⇒現在⇒過去」という構造を受け入れることが出来るのではないでしょうか?

そして目的論の立場を採用すれば、「不健全なライフスタイル」を「健全なライフスタイル」に切り替えることが容易になるのです。詳しく説明します。

行動

「時間が失恋の傷を癒してくれる」というようなことはよく言われますし、関西地方には「日にち薬」という言葉があります。「日数を重ねてじっと養生していれば病気やけがが自然によくなってくる」(大阪ことば事典)という意味です。

「日にち薬」が効果を発揮するのは、原因論ではなく目的論が、現実に作用している何よりの証拠です。「失恋の傷」というものは現在から過去に流れていくものであって、現在から未来に持っていくものではないのです。

しかし残念ながら・・・長期間にわたって失恋の傷が癒えない人もいます。なぜでしょうか?最大の理由は「思考するから」です。たとえば「時間を巻き戻すことができたなら、どうするか?」というようなことをひたすら考えると同時に、過去の出来事を繰り返し思い出すことで、イヤな記憶を脳に定着させてしまうのです。

そもそも自分のライフスタイルについて分析することは「思考すること」のひとつですから、プロのカウンセリングを受けないのであれば、あまりやる意味がありません。むしろ自分でライフスタイルについて考えること自体が、不利益につながることもあるのでくれぐれも注意しなければならないのです。

ではどうすればよいのか?といえば・・・・・思考することをやめればいいのです。嫌なことがあればただ笑えばいいのです。自分が失敗する理由を深堀するのもやめて、ただ行動すればいいのです。

日本アドラー心理学会の初代会長「野田俊作」(のだ・しゅんさく)先生は、とても興味深いエピソードを紹介しています。

考えることの目的は何でしょうか。こんな話があるんです。

グループ・セッションでの出来事なんですが、私が、「一番好きな人とペアをつくってください」と言ったんです。あとで、ある中年の女性が、「さきほど先生は、一番好きな人とペアをつくれとおっしゃったけれど、とてもいやでした。私は全員と仲よくなりたいんです。ここに来てまで、好き嫌いを言って、誰か特定の人を選びたくないんです」と言うんです。

そこで私は、「ひょっとして、特定の人を選ぶのがこわいんですか」と尋ねた。その人は、ちょっと考えたあとで、「ええ、そうですわ!私、こわがっているんです。今、気がつきましたけれど、私が好きになった人が私を拒否するんじゃないかとおそれているんです。それに・・」と、しゃべりはじめたんです。

(中略)

そこで私は、「あることをおそれていることに気づいたら、どうすればいいか知っていますか」って尋ねたんです。彼女は「いいえ、わかりません」

「何かをすることに抵抗を感じたときに、ただ一つしなければならないことは、そのことをすること。一番してはいけないことは、なぜ抵抗を感じるのか分析しはじめること」

「わかりました。でも、考えるんですけれど、これは私の生い立ちと関係があって……………」

私は彼女のおしゃべりをさえぎりましてね、「お願いだから、どうか考えるのをやめてください。ただ実行してくださいませんか」(笑)。そして「あなた、考えるということの目的をご存じですか」と尋ねたんです。彼女は、「いいえ、知りません」と言います。そこで、こう言ったんです。「それは、ただ一つ、自分を変えないため。我々は、今の自分を変えないためにはどうすればいいか考えるのであって、変えるためにどうすればいいか考えるのではない」

【引用:性格は変えられる

勇気

人生を変えたいなら「行動あるのみ」という野田俊作先生のアドバイスは、とてもシンプルです。しかしシンプルなアドバイスが、簡単に実行できるアドバイスであるとは限りません。

なぜ「行動あるのみ」というアドバイスを実行することがムズカシイのかといえば、現代日本人は不安スパイラルを回すことに慣れ切っているからです。不安スパイラルにおいては、行動(競争)の前に思考(損得)があります。つまり行動する前に「自分が損をするか?得をするか?」について考えてしまうわけです。

不安スパイラル

無論、損得について計算するためには「インプット(投資)-アウトプット(成果)」を計算する必要があるわけですが、現実問題として、必ずしも行動する前からインプット(投資)やアウトプット(成果)が確定しているわけではありません。

たとえば「お金を入れて自動販売機のボタンを押せば、ジュースが出てくる」ということであれば、「お金を入れて自動販売機のボタンを押す」(投資)と、「ジュースが出てくる」(成果)の因果関係について、あまり悩む必要はないかもしれません。

しかしたとえば「美女に告白して、交際する」とか「起業して、成功する」ということであれば、たくさんの不確定要素があります。そのためインプット(投資)とアウトプット(成果)のそれぞれについて、正確な値を予測することはできないし、そもそも計算可能性が担保されているわけでもないのです。

現実問題として、「起業して成功したけれど、成功する前に期待していたほどの幸せは感じていない」というようなケースも珍しくありません。なぜ期待と現実のギャップが生まれるのかといえば、将来のことを正確にイメージすることはできないからです。時間が経過すれば、自分の価値観だって変わりますし、成功したことによる喜びよりも、成功したがゆえの苦悩のほうが大きいということだってあり得ます。

世の中わからないことだらけで「一寸先は闇」なのであり、だからこそ人類は社会をつくり不確定要素を極力減らすためにさまざまな努力をしてきました。しかし生まれたときから近代社会のなかで生活し、不安スパイラルを回すことに慣れ切った現代人は、そもそも世界は「一寸先は闇」であり、不確定要素をゼロにすることはできないという当たり前のことを忘れてしまっているのです。

損得を計算できない場合、現代人は行動しないことも珍しくありません。なぜならば損得を計算できない場合には「行動しない」のが合理的だと考えるからです。そして「行動しない」ことを正当化するためのあらゆる理由を、「思考すること」で生み出した挙句、自分で自分を縛りつけてしまうのです。

アドラーは、不確定な現実に立ち向かうために「勇気づけ」というアプローチを重視しました。勇気づけの具体的なテクニックとしては・・・

勇気づけのテクニック
  • 貢献に注目する
  • 過程を重視する
  • 成果を指摘する
  • 失敗を受け入れる
  • 成長を重視する
  • 相手に判断を委ねる
  • 肯定的に表現する
  • 「私メッセージ」を使う
  • 「意見言葉」を使う

【出典:勇気づけの方法

勇気づけのテクニックは、カウンセラーがクライエント(相談者)に対して、もしくは親や教師が子どもに対して、さらにはあなたやわたしが周囲の人に対して実践することが大前提になっています。そのためアドラー心理学を個人的に実生活に取り入れたいのであれば、自分で自分を勇気づけることを意識しなければいけません。

なお自分で自分を「勇気づけ」る細かいノウハウについては、わたしが知る限り、アドラー自身はあまり言及していないようです。しかしアドラーの著書を注意深く読めば、重大なヒントが隠れていることに気づくことができるでしょう。

導き

自分で自分を「勇気づけ」る場合、自分で方向性を決め自分で自分を励ましながら行動し続ける必要があります。しかしながら、「行動あるのみ」とアドバイスされたところで、「何をすればいいのですか?」と悩み右往左往するようなケースも珍しくないのです。アドラー心理学は、方向性についてどのようなアドバイスをしているのでしょうか?

文化の自明性をたとえそれが常識であっても徹底的に疑うアドラーは、現状をそのまま肯定するという意味での偶像崇拝を認めない。共同体が到達できない理想であるのと同様、共同体感覚も理想であることを止めることはないのである。たとえ大多数の人が認める立場であっても、なお人間は誤る可能性がある。しかし、そのようであっても、共同体感覚は、人間にとって「導きの星」なのである。理想は人がそこへと向かって行く目標である。

【引用:性格の心理学

ひらたくいえば「理想に向かって行動せよ!」というのが、アドラー心理学からのアドバイスです。しかしそもそもなぜ理想をもつことが、重要なのでしょうか?

やがてアドラーが採る立場でいえば、優越性の追求は先にも引いたように「健康で正常な努力と成長への刺激」なのだが、問題は、何を優越性と考えるかということである。それによって、追求の方向性が変わってくる。本書で引かれている例でいえば、他者を支配すること、他者に依存すること、他者から認められようとすること、またさらに、課題に取り組まないことに優越性を見る人がある。アドラーがいう共同体感覚は何が優越性であるかという問いへの一つの答えであるといえる。

【引用:性格の心理学

人は誰しも目標によって、価値観が変わり、行動が変わる・・・という側面があります(目標⇒価値観⇒行動)。たとえば志望校に合格することが最大の目標であればこそ、「恋愛は我慢しろ!」というメッセージに納得感が出てくるわけです。

とはいえ一体、わたしたちはどのような目標を設定するべきなのでしょうか?

不安スパイラルを回す場合には、他者貢献を抜きにした「自己中心的な目標」を追求することも可能とはいえば可能です。たとえば他者を信頼することも他者に貢献することもなく、テストで高得点をゲットできれば受験で志望校に合格できます。そして不安スパイラルを回すことで培ったプライドがあれば、尊厳の低さをカバーすることも不可能ではありません。

しかしもしあなたが共同体感覚を発達させる(勇気スパイラルを回す)道を選ぶのであれば、他者貢献が必要不可欠です。ですから自己中心的な目標を設定するのではなく、利他的な目標を設定する必要があることはすぐにわかるはずです。

さて・・・これまでの議論を踏まえればアドラーが、共同体感覚を導きの星にすることの重要性を指摘した理由が、わかるのではないでしょうか?

アドラー心理学が原因論ではなく、目的論の立場をとることはすでに説明したとおりです。目的論とは「未来⇒現在⇒過去」というような因果関係を信じる発想のことです。である以上、目的論を攻略する鍵が「未来」にあることは明らかでしょう。

もし未来に「自己中心的な目標」を設定すれば、成功すればするほど不安とは無縁ではいられなくなるでしょう。逆に未来に、共同体感覚にもとづいた「導きの星」を設定すれば、成功すればするほど尊厳を獲得できるはずです。

あなたは「自己中心的な目標」を追求するために不安スパイラルを回す道と、「共同体感覚」を追求するために勇気スパイラルを回す道のどちらを選びますか?

詳細

本記事は、アドラー心理学の全体像を短時間で把握してもらうために執筆しました。お伝えしたいことは他にも山ほどあるのですが、あまり記事が長くなりすぎると本記事の目的を果たせなくなってしまいます。

そのためアドラー心理学の詳細については、別の記事に回すことにしました。まずは『アドラー心理学とは?』をチェックしてください!

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