何者 ~ 「ちゃんと生きる」の意味論

「人間関係に疲れました……」と悩んでわたしのメールマガジンにたどり着いたという人も少なくないのですが……そもそもなぜ人間関係に疲れるのでしょうか?

運動して疲れても、食べて寝れば治ります。どうすれば人間関係の疲れから解放されるのでしょうか?

予告動画)何者

内定ゲットの秘訣

わたしが就職活動をしていた時、まだ『就職塾』というものの存在は、どちらかというとマイナーな存在でした。そして「就活の攻略方法」的な書籍では「建前をしっかり演じることが内定をゲットする秘訣」であるというようなアドバイスが記載されていました。

例えば面接官から「あなたの長所は?」と質問された時、素の自分の長所を語るのではなく、「どのような長所を語ってくれると面接官は喜ぶのか?」ということを念頭に置けということです。なぜならば面接官も社内では上司から評価される存在だからです。

面接官に「この学生は優秀です!」と報告してもらうために、自分という存在をどのように「演じることが合理的なのか?」ということを必死に考えて、その「演じる内容」を就職活動中に本当にすることが内定をゲットする秘訣なのである……ということがマジメにアドバイスされていたのです。

そう。日本社会では『マトモな人間』であることよりも『うまく生きられる人間』であることが求められているのです。

まとも VS うまく

わたしの場合は外資系のコンサルティング会社のなかでも競争率が一番高い部署を志望していたので、「きわめて優秀な学生」を演じることにしました。

いろいろな裏技を駆使してウェブテストはほぼ満点。圧迫面接でも冷静な態度を崩さず、外面も就職活動のためにカラダを鍛え、スーツのサイズもぴったり、靴もピカピカに……といった具合です。

かつての就職活動は「理想的な自分を現実化するためには、どうしたら良いか?」という問題設定から出発して答え(就職先)を探すものだったはずなのに、いつしか内定をゲットするために「状況に応じて、もっとも適切な人格を使い分けるためには、どうしたら良いか?」ということが問題になっているのです。

うまく生きられない

「理想的な自分を現実化するために必要なこと」(まともに生きる)と、「状況に応じて、もっとも適切な人格を使い分けること」(うまく生きる)は乖離しています。まともに生きようとすればするほどうまく生きられなくなります。

そのため「まともに生きる」ためのスキルを磨くのを一旦横に置いておいて、「うまく生きる」ためのスキルを磨くことが合理的な判断になります。しかしうまく生きようとすればするほど、まともに生きている存在が疎ましくなり、うまく生きている自分を肯定しづらくなるのです。

とはいえ「うまく生きる」といったところで所詮は仕事関係上のことで、プライベートでは「まともに生きる」ことが肯定されるべきです。「べき」ですといったのは、いまはプライベートですらまともさを追求することが難しくなっているという時代背景を踏まえているからです。

時代背景とはなにか?古くは個人ブログ、現在ではSNSの広がりが人間関係にも無視できない影響を与えています。ブログやSNSなどで自分の主張や活動履歴を不特定多数に公開するような「疑似プライベート空間」が広がったことで、昔であれば親しくあり得た人間関係が疑心暗鬼に満ちたものになっているのです。

疑心暗鬼が広まると、かつては「仲間だったらなんでも言い合える」はずの関係が、「仲間だからこそ情報を隠す(なぜならば仲間だからこそ個人情報を外部に漏らす可能性が高いから)」という関係に変質してしまうのです。

同じノリのプロトコル

物理的に近くにいる存在なのに、多くの情報を共有できないとなると、人間関係を深めることが難しくなります。特に日本人は、なんとなく一緒の時間を過ごしてお互いがお互いのことを理解しているという自覚をもてないと、「腹を割って話す」ことができないという特徴があります。

そこで突破口になるのがさまざまなイベントなのです。例えば学園祭や体育祭や修学旅行などのイベントは、学生同士が多くを共有する役割を果たしているといえるでしょう。では就活は人間関係を前に進める起爆剤になり得るでしょうか?

就活中の学生は、みんなが同じことに挑戦します。会社説明会、エントリーシートの作成、グループディスカッション、OB・OG訪問、名刺の作成・交換、自己分析……といった具合です。

しかし同じプロトコル(手順)に従っているのに、なかなか就職活動で出会った人たちと人間関係を前に進めるのは難しいのです。それはなぜでしょうか?その答えは映画「何者」を鑑賞しながら探してみてください。

■ 『社会を学べる映画

『社会』を学べる映画