監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影

1980年代にファミコンが大ブームになったとき「テレビゲームは1日1時間」という厳しいルールを設ける家庭もありました。

しかし昨今では、スマートフォンを「1日1時間まで」などと厳しく規制する家庭はほとんど聞いたことがありません。

そう。スマートフォンはそっとわたしたちの日常生活に溶け込んでいるのです。しかしスマートフォンでみんなが利用しているSNSをつくった人たちは口をそろえて「危険だ」と警鐘を鳴らしています。

SNSの世界に入り浸ることの何が問題なのでしょうか?

予告動画)監視資本主義

これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。

直接民主制・神の見えざる手

「The Social Dilemma」(邦題:監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影)に登場するSNSをつくった人たちは、SNSの問題をハッキリ自覚していないようです。

SNSが抱えている最大の問題は、民主制と資本主義という現代の人類が基本にしているものの前提を壊すからです。

実は、民主制も資本主義も「人が人を思いやる気持ち」を大前提にしています。事実、ジャン=ジャック・ルソーは直接参加型民主主義のみを「真の民主主義」と考えていました。

なぜ直接参加型民主主義のみを「真の民主主義」と考えていたのかといえば、民主主義を適用する規模が大きくなればなるほど「自分は損をするけれど、他人のためになるなら正しいことをしよう」という動機づけが薄くなることを自覚していたからです。

ルソーとほぼ同時期に活躍したアダム・スミス(著:倫理学書の『道徳感情論』や経済学書『国富論』)も「神の見えざる手は、憐れみの情(ピティエ)があるときのみ機能する」と考えていました。

憐みの情(ピティエ)とは……自己の同胞が苦しんでいるのを目にすることに、生まれつきの嫌悪を感じる気持ちのこと。

同じ地平を生きていない

人が人を思いやる気持ちは、「わたしたちは同じ世界を生きている」という感覚から生まれるのですが、スマートフォンやSNSはその共通感覚を気づかれないうちに壊してしまうのです。

たとえば電車のなかでスマートフォンを見ている人に、いきなり声をかけたらビックリされるでしょう。そう。かつて当たり前にあった「同じ電車のなかに乗っている」という感覚をスマートフォンやSNSは簡単に破壊しているのです。

同じ電車に乗っているという感覚、同じ家族のなかで生活しているという感覚、同じ学校で勉強しているという感覚が破壊された先にあるのが「電車内暴力」であり「家庭内不和」であり「SNS上でのイジメ」です。

目に見える範囲での共通感覚を失った状態で「日本社会のどうするか?」なんてマクロな視点をもてるわけがありません。そう。スマートフォンやSNSは、政治の領域でも経済の領域でも「分裂」を加速させる装置になっているのです。

儲かればいいという動機づけ

SNSを提供するグローバル大企業は「儲けるため」にやっています。儲けるためにサービス利用者を「中毒」にする仕組みを実装しています。そしてSNS中毒者は、SNSの世界に強いリアリティーを感じるようになり、顔も本名も知らない他人からの誹謗中傷を気にするようになるのです。

SNSを利用するならほどほどに。

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