わたしが外資系コンサルティング会社に勤めていた時、たくさん仕事を受注することで有名な女性役員が社内セミナーで教えてくれたことが、いまだに記憶に残っています。
コンサルティング業界において下っ端の仕事は、現場でコンサルティング実務に精を出すことです。だから営業するチャンスはほとんどないのに「自分はどうやって仕事を勝ち取ってきたのか?」ということを、現場で働くわたしに熱心に語ってくれたからです。
女性役員曰く「どの人に営業するかが重要」なのだそうです。どういうことでしょうか?
真のリーダーは誰か?
「あなたの会社のリーダーは誰か?」と問われた時、肩書で判断するのであれば誰もが「社長です。」と回答するでしょう。しかし女性役員は「必ずしもそうではない」ことに気づいていたのです。
日本は本当の意味で資本主義ではありません。だからアメリカのように「株主が選んだ社長の決定に従業員が従う」ことを期待できないのです。要するに社長が「やれ」といったところで現場が「ノー」といえるのです。
もちろん社長に面と向かって「ノー」というわけではありません。社長には「イエス」といっておきながら、実際にはアレコレ理由をつけてやらないことを現場の社員一丸となって正当化するというような「非資本主義的な作法」があり得るのです。
現場の社員からすれば、自分の仕事を増やすかもしれないコンサルティング会社の社員なんてうるさいだけです。もし現場の社員が非協力的であれば、プロジェクトがはじまっても、現場社員の協力が得られずに失敗する可能性が高いのです。
クライアント企業の上層部もそれがわかっているので、プロジェクトの性質によっては契約する前に「現場への根回し」を意識します。だから女性役員は「どの人に営業するかが重要」と熱く語ってくれた……というわけなのです。
とはいえ、そんなこといわれてもなかなか「真のリーダー」への理解は深まらないでしょうから参考になる映画を紹介したいと思います。
予告動画)生きる
死ぬ気になれば
「死ぬ気になればなんでもできる」と言葉でいうのは簡単ですが、なかなかマネできるわけではありません。しかし映画「生きる」の主人公は「近いうちに死ぬことが確定した」ことがきっかけで葛藤しながらも、真のリーダーとして目覚めるのです。
映画を鑑賞したあなたは『真のリーダー』の素晴らしさを理解するでしょう。しかし同時に絶望するかもしれません。なぜならば真のリーダーであり続けることがいかに難しいことなのか痛感するからです。
縦割りの行政組織に風穴をあけることは、死ぬ気にならないとできないことなのでしょうか?
近代化とは合理化主義
「生きる」が公開された昭和27年から60年以上が経過した現在、「自分の損になることはしたくない」という人間が、日本全国に蔓延するようになりました。しかし残念ながら損得勘定だけでは近代社会は回らないのです。
そもそも近代社会とはなんでしょうか?近代社会とは合理化が進んだ社会のことです。すべてを手順化して想定内に収めることで複雑な大規模定住社会を可能にする試みが「近代化」の正体です。
しかし社会は何が起こるかわからない<世界>の上に成り立っています。だから予期しないことや思い通りにならないことは必ず発生します。事実、いつ地震や津波に襲われるのかわたしたちは把握したくてもできません。
予期しないことや思い通りにならないことのためにこそ「政治」が必要です。しかし暮らしの全体が合理化されれば、予期しないことや思い通りにならないことを過剰に嫌がるようになります。
事実、政治にも「コストパフォーマンスが第一」「リスク回避が大切」などとビジネスマインドを持ち込む政治家らしくない「政治家」がウジャウジャしています。政治だけでなく教育や性愛の領域でも同様です。
教育の領域では「この授業が社会に出て何の役に立つのですか?」と質問する大学生があふれ、性愛の世界では「コスパが悪い」、「責任がとれない」、「コントロールできない」という理由で恋愛そのものを拒否する若者が珍しくなくなりました。
非合理な営み
「愛国」も「恋愛」も、愛の名のつくものは大したことのない相手や集団を「世界のすべて」を思い込む非合理的な行為です。しかしその非合理がないと近代国家も近代家族も維持できないのです。
あくまでも人が合理的に行動したり法律を遵守する目的は、『社会を存続させるため』です。仲間を守るために、仲間でない人とも仲良くする必要があるのです。
法の本来の目的が「社会を存続させるため」、「仲間を守るため」なのですから、社会が破壊され、仲間が傷ついているのに法律を遵守するなんて本末転倒です。だからわたしたちは社会を守るため、仲間を守るために、法を踏み越えなければならないのです。
愛や正しさのために法を踏み越えることを忘れたらどうなるでしょうか?
答えはわかりきっています。仲間のために法を守り、仲間のために法を破ることを忘れ、合理的手続き(つまり法律)だけを肥大化させ続ける社会は滅びるだけです。しかし日本社会は官僚化に歯止めがききません。事実、官僚組織は肥大し続けるばかりで、日本の国家予算は増加の一途をたどっています。
平成の約30年、日本社会全体が沈みっぱなしの本質的な原因は、過剰なものや非合理的なものを切り捨てる態度にあるのです。事実、日本社会は魅力を失い、ぺんぺん草も生えない荒野になりつつあります。
平成から令和になり、日本人は平成的な態度(つまり過剰なものや非合理的なものを切り捨てる態度)をやめることができません。そのような態度が自分たちの社会を悪くしていることにすら気づいていません。だから日本社会は昭和・平成・令和と時間が経過するにつれてひどくなり続けるでしょう。
荒野となった日本社会であなたが生き延びるにはどうするべきでしょうか?
その答えは映画「生きる」のなかに眠っています。ぜひ最後まで鑑賞してください。
■ 『社会』を学べる映画