「当たり前のものだと思っていたものが、実は当たり前じゃないことを知る」という経験をしたことがありますか?
もしあなたがそのような経験をすれば、目の前の景色が今までとまったく違ったものになり、もうあなたは元のあなたには戻れなくなるでしょう。そして「元の自分には戻れない」という経験を重ねることによってあなたは成長し、またあなたの人生も深みのあるものになるでしょう。
しかし「元の自分には戻れない」という経験を繰り返すと、あなたの周囲は必ず混乱します。なぜならば「元の自分には戻れない体験」を経た「今のあなた」は、見た目は完全に「元のあなた」であるはずなのに、行動や発言がこれまでとは全く異なるので「別人」にしか思えなくなるからです。
「今のあなた」と交流した周囲の人々は、あなたのことを「狂った」と評価することだってあるでしょう。しかし本当に狂っているのは、もしかしたら周囲の人々のほうかもしれないのです。
以上の話は文章にするとちょっとわかりずらいかもしれません。しかし黒沢清監督の映画作品を1本観るだけで理解できるのです。
予告)スパイの妻
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
現実の中にある異常
街を歩けば冷静になって考えてみれば「当たり前じゃないもの」がさも「当たり前」のものとして存在することに気づくことができるはずです。しかし現実を当たり前のものとして受け入れている日本人にはそれができません。
例えば日本に旅行にきた外国人は、日本の駅前にパチンコ屋があって白昼堂々と営業していることに驚きます。しかし日本ではパチンコというギャンブルは建前上は「ギャンブルではない」ことになっているため、たいていの日本人は「そんなものか」と受け入れています。
外国人からすれば「それはオカシイ」と思うものでも、日本人が「そんなものか」と受け入れているものは他にもたくさんあります。例えば朝のニュース番組で毎日繰り返し流れる「星座占い」も外国人からすると「なんだこれは?日本には星座占いという宗教が存在するのか?」とビックリするコンテンツなのに、ほとんどの日本人は疑問に感じることすらないのです。
今回紹介した作品「スパイの妻」で蒼井優演じるスパイの妻も、日常が実は異常であることに気づいてしまうのです。自分が当たり前の日常だと思っていたものが実は当たり前じゃなくて、マトモだと思っていた人たちが実はマトモじゃないということに気づいてしまうのです。
蒼井優演じるスパイの妻は、周囲の人たちから「狂った」と評価されます。しかし蒼井優自身は自分自身を『狂っていない』と信じて疑いもしないのです。
しかしだからこそスパイの妻は「今の日本において、自分は狂った存在だ」と確信を深めてしまうのです。
黒沢清の世界
映画評論家の宮台真司先生は、黒沢清作品の基本形式を以下のように整理しています。
- どこからともなく、不吉な存在が訪れる。
- 彼らに訪(おとな)われた人々は、見知った<ここ>が既に廃墟である事実を知る。
- 彼らは<ここではないどこか>を求めて足掻いた挙句、遠くに着地する。
- だかそこは、かつて居た場所より激しい廃墟だった。
- とするならー。
【引用:正義から享楽へ】
黒沢清作品ではもう20年以上前からほとんど一貫して「黒沢清作品の基本形式」の1~5までのモチーフが反復されています。しかし残念ながら一部の映画好き(というか黒沢清監督ファン)しかそのことを理解できない難解さがありました。例えば『カリスマ』(1999年)を観たほとんどの人が「よくわからない」という感想をもったはずです。
しかし映画「スパイの女」は、日本人に馴染みのある「戦争もの」を題材にすることによって、黒沢清監督の基本形式が読み取りやすくなっています。
黒沢清監督の作品に馴染みのない方は、まずは「スパイの妻」を鑑賞して、興味があればその他の黒沢清監督作品を鑑賞することをおススメします。
さて、ここからが本題です。
時代が黒沢清に追いついた
黒沢清作品は理解されづらい映画でした。なぜならば『見知った<ここ>が既に廃墟である事実を知る』ということが、ほとんどの日本人にはどうしても理解できなかったからです。しかし今になってようやく黒沢清作品が親しみやすいものになりました。そう。時代が黒沢作品に追いついたのです。
コロナ禍で多くの人が気づいたはずです。「何かがオカシイ」と。今までマトモだと疑いもしなかった人たちが実はマトモじゃないのでは?という疑問をもった人もいるでしょうし、逆にマトモじゃないと思っていた人が実はマトモなのではないか?と気づいた人もいるでしょう。
そう。一部の人も目には「すでに日本が廃墟である事実」は明らかなのです。しかし良識のある人たちは「それはオカシイ」と声をあげることはしません。なぜならば日本では「空気」に抗うことが難しいからです。
本人は「オカシイ」と思っていても、「それをいえる空気じゃないし、それをいったら自分は周囲から空気を読まないやつだと思われてしまう」ということを自覚した瞬間に、空気を読んで自分が感じていることや思っていることをいわなくなるのです。そして後になって空気のほうが間違っていることに気づくと「実は自分もそう思っていた」などと言い訳するのです。
でもわたしは空気を読むつもりはありません。空気を読む人はたくさんいるので、あえて空気を読まないで自分が伝えたいことをあなたに伝えたいと思います。しかし「すでに日本が廃墟である事実」なんてことは誰だって知りたくありません。だから当然、薄々そのことに気づいている人ほど敏感に反応して怒ったり悲しんだりするでしょう。
ですから一部の人からすればわたしは有害でしかない存在です。しかしそれでも空気を読まないで伝えたいことを伝えるのは、ちゃんとした理由があるのです。
一刻も早くやり直すべきでは?
どれだけ頑張っても間違った方向に進んでいては結果は出ません。どれだけ願っても泣いてお願いしても、自然法則や社会法則に抗っている場合には満足のいく結果なんてものは期待できないのです。
世界的な経営コンサルタントの大前研一先生は、日本でも有数の進学校の灘高生から「借金大国の日本はどうするのが最善なのですか?」と質問されて「1日も早く破産してやり直した方がいい」という趣旨の回答をしていました。
在野の天才といわれた小室直樹先生は、オタキングこと岡田斗司夫氏から「日本を延命させるためにはどのような教育改革をすればいいですか?」と質問されて、「小学校から大学まで全廃して、自発的教育機関だけにする」と回答しました。
わたしはやり直すなら早い方がいいと思っています。しかしそのようなアドバイスは多くの人が求めているものではないでしょうし、現実を直視したらナウシカ(漫画版)のように発狂する人だってでてくるかもしれません。
それでもわたしが空気を読まずに伝えたいことを伝えることを辞めないのは、「すでに日本が廃墟である事実」から目をそらすことは誰にとっても不可能になることを確信しているからです。
■ 社会を学べる映画集