わたしの受験の思い出は「キツかった」です。特別に勉強が得意というわけでもなかったのに、偏差値の高い高校や大学に進学したかったので、(自業自得とはいえ)他人よりも努力する必要があったのです。
わたしだけでなく「受験」に苦労した人は多いと思いますが、実は・・・「受験地獄を解消しよう!!」という試みは戦後直後からあったのです。
戦後の教育改革
受験地獄を解消する理由はなんでしょうか?戦後直後の日本の政治家や官僚は、日本の教育が詰め込み主義で丸暗記型であるのは受験戦争のせいで、受験戦争を続けている限り個性的な人間は育たないと考えていました。
そこで日本は旧制教育をやめることを決断し、昭和22年に新制教育をアメリカから直輸入します。受験地獄のないアメリカの教育制度を導入すれば、受験の悪癖を根絶できると考えたのです。現在の6・3・3・4制の教育制度は、その頃からはじまっているのです。
新制教育の方針は3つありました。
- 受験科目数の削減
- 内申書の重視
- 学適性検査の実施
以上、3つのポイントの総合的な判断で合否が決定される仕組みにすれば、受験生の負担が大幅に軽減されるはずでした。
しかし結果は無残なものでした。受験戦争がなくなるどころか、過激になっていったのです。
駅弁大学
受験戦争を過激にした最大の理由は、戦前の高等専門学校や師範学校をすべて新制大学に生まれ変わらせてしまったことにあります。
昭和22年といえば戦後直後であり敗戦で打ちひしがれて、食物すらろくにない状態だったのに、なんと・・・
国立大学だけで88校、私立も合わせると全部で180もの大学を誕生させたのです。戦前の大日本帝国ですら、大学の数は52校であり、戦前も「国力のわりには大学が多すぎる」と批判されてきたのに、戦前の3倍以上の大学を誕生させたのでした。
誰もが「正気の沙汰ではない」と思いました。しかし時の総理大臣吉田茂は、次のようなことを述べています。
どうせこんなに沢山の大学をつくっても、先生がいるわけがないだろう。高専や師範の先生なら単なる教育者であればいいが、大学の先生は研究者であることも要求される。そんな先生がたくさんいるわけがないから、いくら大学をつくってもすぐに潰れてしまうだろう。だから政府がコントロールするのではなく自然淘汰に任せるのだ。
残念ながら・・・吉田茂の予測は見事に外れます。駅弁の売っているところには大学がはびこり、ジャーナリストの大宅壮一による「駅弁大学」という造語まで誕生します。
つまり教育改革の結果、大学の数が急増したため、それまでは国民の一部だけが参加していた受験戦争に、すべての国民を巻き込むことになったのです。第二次世界大戦の次は、受験戦争に巻き込まれていったのです。
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