たくさんの人が「人間関係に疲れた」という実感をもっています。だからこそ「嫌われる勇気」のような「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とする書籍に注目が集まっているのでしょうが、そもそも対人関係の悩みを現代人が強く感じている理由はどこにあるのでしょうか?
予告動画)NITRAM
大量殺人鬼
映画『NITRAM』は、ポートアーサー事件の犯人のあだ名をタイトルにした映画作品です。犯人の名前はマーティン(MARTIN)、逆から読むとNITRAMというわけです。
1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件。犯人はマーティン・ブライアントで、死者35人、負傷者15人を出した。
死者35人、負傷者15人を出した事件の犯人はどんな人なのか?と想像すれば、「ヤバい人」「精神異常者」「サイコパス」というようなイメージが湧くかもしれませんが、そうではなかった……ということを表現しているのが映画『NITRAM』です。
たしかにマーティンは知的障害者だったのですが、根っからの悪人であるとか、殺人衝動を抑えられない人物ではなく、「いろいろあって」大量殺人事件の犯人になってしまったのです。
「いろいろあって」の詳しい事情については、映画『NITRAM』を鑑賞していただくとして、今回は作品を読み解く重要なポイントについて触れておきたいと思います。
自己実現 ⇒ 空気を読む
「理想的な自分を現実化するにはどうすればいいか?」ということが、社会を生きるものとしての大きな関心事項だった時代がありましたが、少しずつ「ちゃんと生きる」ということの意味が変わってきました。
「ちゃんと生きる」ことの意味が「マトモに生きる」(自己実現)から「ウマく生きる」(空気を読む)に変わってきたのです。就職活動の学生が、どんなことに悩んでいるか想像すれば思い半ばに過ぎるでしょう。
ではなぜ「マトモに生きる」ことよりも「ウマく生きる」ことが推奨されるようになったのでしょうか?ズバリ答えは「過剰流動的な社会」にあります。
過剰流動的な社会
社会的流動性が増大している背景にあるのは「グローバル化」です。資本移動の自由化が進み、お金も人も国境を移動するのが当たり前になれば、「昔からうちの地域ではこういうルールだから」といった暗黙の了解が通用しなくなります。
例えばわたしの住んでいる東京港区では、東京オリンピックが終わってから開発ラッシュが続いています。タワーマンションの開発計画があちこちで持ち上がり、地元の住民を困らせています。
具体的にはタワーマンションが開発されるとなると、3年以上もの間、騒音や交通規制に頭を悩ませるハメになるのです。ただでさえ人が多くて困っているのに、これ以上人を増やしてどうするの?という状況がますます加速しているのです。
タワーマンションの売値は、「ドリームジャンボ宝くじ」に当選しても購入できないほど高額なのに、タワーマンションの住人は町内会に参加してくれるわけでも、祭りに参加するわけでもないし、引っ越してきたからといってずっとそこに住むわけでもないのです。
粗大ごみの不当投棄も問題になっており、わたしの住んでいるマンションでも「マンションの居住者以外が持ち込んだ粗大ごみ」が不法投棄され、マンションのオーナーが頭を抱えていました。
マンションのオーナー曰く、「10年前まではこんなことはなかったのに」とのこと。そういう事件が続くと、地元住民の目には新しく入ってくる住人のことが「地域になんのコミットメントをしているわけでもないのに、いいとこだけを享受する存在」に映るのです。
精神病患者の増加
社会的な流動性が高くなると、割を食う人たちもでてきます。例えばタワーマンションなどが建設されれば、商売のチャンスが広がるというようなメリットを享受できる人もいるでしょうが、逆に「地価が上がる」ことで生活苦になる人たちもでてきます。
そこにチャンスがあるからといってすべての人が「ウマク生きる」ことができるわけではないのです。となれば、一定の確率で「ウマク生きる」ことのできない人たちが「異常者」や「ちょっと変わった人」扱いされるようになり、社会への怨念をつのらせることになるわけです。
そして社会への怨念をつのらせた人が一定の割合で『暴発』する可能性もあるわけで、その恐るべき可能性をどのように減らしていくか?ということが課題になるわけですが、簡単な問題ではありません。
オーストラリアでは、マーティンのように暴発する人物がでてくれば「銃を自由に購入できるのはオカシイ。銃の販売は規制するべきだ!」と主張する声が大きくなる一方で、「危ないやつが一定確率で出てくるならむしろ自衛のために銃をもっておかねばならないのでは?」と主張する人たちもでてきます。
アメリカのように「ヤバイ奴がでてきても、そいつを処理できればOKな社会」を目指すのか?欧州のように「マトモな人間を一人でも増やして、ヤバイ奴がでてこないようにする社会」を目指すのかが問われているのですが、残念ながら日本はそのあたりの事情にあまりにも無自覚です。
マーティンは無差別に人を殺したわけではありません。マーティンが「どこ」で「誰を」殺したのか?ということを考えれば、問題の根が社会の根深いところにあることにあなたも戦慄するはずです。
■ 『社会』を学べる映画