性格を変えるのが良いのか?

さて……これまでは、人生の課題に直面するも上手くいかない時のために、ライフスタイルつまり『性格』を変える方法について説明してきたわけですが……『性格』を変えることが唯一の解決策なのでしょうか?

今回の内容は『目的のモデル』の①を理解する上で役立つはずです。

提案)目的のモデル
  • 性格を変えることだけが幸せの道ではない。共同体感覚を目指す選択肢もある。
  • 導きの星を目指せば、輝きにあふれた日常に開かれる。
  • ライフスタイルを進化させる鍵は「大きな煩悩」「結果がわからない」「ありのまま」。
  • 導きの星は「到達できない理想」にある。

自分を変える

『バカの壁』で有名な養老孟司(ようろう・たけし)先生は『相手を変えるよりも自分を変えるほうが楽』と主張しています。

たとえばあなたがいくら怒鳴っても、子どもや配偶者が行動を変えてくれない……という場合には『怒鳴る』のではなく、別の選択肢を探ることがよい結果をもたらすかもしれません。『怒鳴る』性格を、たとえば『協力をお願いする』性格に変えることができれば、状況は変わるかもしれません。

しかし『性格』を変えることが唯一の解決策だと主張するのは危険です。なぜならば人生の課題に直面した時に、常に「あなたが変わることが重要」とアドバイスをすることは、結局のところ「いまの社会にあなたが適応することだけが重要」という価値観を押し付けることになってしまうからです。

「いまの社会にあなたが適応することだけが重要」というようなアドバイスは、毒親とも仲良くしろ、ブラック企業であっても忠誠を誓え、というようなアドバイスにつながり、その延長線上には「国家に忠誠を誓え!」と強制するファシズムの世界が待っています。

よく、「アドラー心理学は社会適応心理学だ」って言われるんだけれど、あれは違うの。ものすごいとんでいるの。はじめからそうなの。アドラーのときからそうなんです。共同体の概念を、絶えずこういうレベルでとらえないと、アドラー心理学はたちまちファシズムになってしまいます。

【引用:性格は変えられる】

『性格』を変えるのは手段であって目的ではないのです。誰もが他人の期待を満たすためだけに生きているのではないのです。他人のために自分の性格を変えることだけが、解決策というわけではないのです。

しかし……ここに激しい緊張関係があることは認めなければなりません。

自分は他の人の期待を満たすために生きているのではないという権利を認めるのであれば、他の人にもそれと同じ権利を認めなければなりません。他の人は私の期待を満たすために生きているわけではないのです。

【引用:アドラー心理学入門】

自分は他人のために生きているわけではないし、他人も自分のために生きているわけではないのです。つまり……あなたが他人のために『性格』を変えなければいけないわけでもないし、逆に他人があなたのために『性格』を変えなければならないというわけでもないのです。

こちらを立てればあちらが立たずというこのジレンマを、乗り越えることはできるのでしょうか?

到達できない理想

アドラー心理学ではジレンマを乗り越える解決策として『共同体感覚』を提案します。『共同体感覚』とは感覚であり、言葉にできないものなのですが、あえて言葉にするのであれば『自己受容』『他者信頼』『他者貢献』のことです。

今回強調しておきたいことは『共同体感覚』には自己と他者という二つの概念が共存しているということです。ですから「自分の人生は自分のものなのだから、好き勝手にやらせてもらいます」というのは共同体感覚ではありませんし、同時に「他人のために自分が我慢すれば、すべては丸く収まる」というのも共同体感覚ではありません。

『共同体感覚』とは、どのようなイメージなのでしょうか?あえて言語化するのであれば、「ありのままに生きることができる社会の居場所を創る」というのが『共同体感覚』のイメージに近いと思います。

とはいえ「ありのままに生きる」ということは、そう簡単なことではありません。「ありのままに生きる」ことが簡単なら、あなただってアドラー心理学に興味をもたなかったかもしれません。ひとりひとりが「ありのままに生きる」ことができる世界なんてものは、今のところ、どこにもないのです。『共同体感覚』は到達できない理想なのです。

共同体が到達できない理想であるのと同様、共同体感覚も理想であることを止めることはないのである。たとえ大多数の人が認める立場であっても、なお人間は誤る可能性がある。しかし、そのようであっても、共同体感覚は、人間にとって「導きの星」なのである。

【引用:生きる意味を求めて】

『共同体感覚』が到達できない理想なのだから、目指す意味なんてない……と思う人もいるかもしれません。しかし『共同体感覚』を目指すか目指さないか、ここがあなたにとっての大きな分岐点になるはずです。

成長とはなにか?

生まれたての赤ちゃんは、泣くこと以外にはほとんど何もできませんが、成長するにつれて、いろいろなことができるようになります。ですからここでいう成長とは「生きる力を増やす」という意味です。生きる力を増やすとは、どういうことを意味しているのでしょうか?

たとえば「好きなことで生きていく」というYouTubeを宣伝するテレビ広告のスローガンを覚えている人もいるかもしれません。しかしもちろん「好きなことをすれば生活できる」というわけではありません。

YouTubeの利用者数が増えてきたことで、「好きなことをして生活ができる」状況をつくることが容易になったことは事実ですが、大事なことはやはり「ありのままに生きることができる社会の居場所を創る」ことなのです。

アドラーは人生の課題として、仕事・交友・愛を挙げていますが、いずれにせよ他者との絆(YouTubeの場合は、配信者と視聴者の関係)が、間接的にわたしたちの生きる力を増大させてくれるのです。

人は成長すれば安心します。なぜならば昨日よりも今日の方が、生きる力が増大しているからです。逆に衰退すれば不安になります。なぜならば昨日よりも今日の方が、生きる力が減少しているからです。

さて……こういう話を聞けば、誰しも成長したいと願うでしょう。成長するにはどうしたらいいのでしょうか?ここで強調しておきたいことは……成長する上で重要なことは、利己的になることでもなければ、逆に利他的になることでもない……ということです。

利己的であることは、自己受容が出来ていない証拠です。利己主義者は、いまの自分を受け入れられない状態つまり「自分が嫌い」という気分を紛らわせるために自分の利益に執着し、自分の利益を他人に少しでも犯されそうになると怒り狂うのです。しかしこれでは、他者との絆を築くことはできません。

また利他的であることは、良い事のように誤解されがちですが、必ずしもそうではありません。実は利他的であることも、自己受容が出来ていない証拠なのです。利他主義者は、「自分が嫌い」という気分を紛らわせるために、わけもなく他人に利益を与えることで「免罪」されることを期待しているのです。罪の意識をもったまま幸せになることはできません。

利己主義者も利他主義者も、行動を観察する限りにおいては正反対なのですが、「自己受容」の精神が欠落しているという意味では共通しているのです。利己的であることも逆に利他的であることも、生きる力の増大に役立たないのだとすれば……一体どこを目指せばよいのでしょうか?

第三の選択肢

実は……答えはすでにお伝えしているのです。そう。ありのままに生きるためには……成長するためには……『共同体感覚を目指せ!』というのが、アドラー心理学の提案になります。

アドラーは、共同体感覚は人間にとって導きの星であるとまで主張しているのですが、『共同体感覚』を目指すことが、どのような感覚であるのか……ということを説明することは至難の業なのです。なぜならば共同体感覚は、あくまでも感覚だからです。

共同体感覚について説明することは、キャビアを食べたことがない人に、キャビアの味を説明するような困難さを伴うのです。キャビアを食べたことがあればキャビアの味を説明できるけれど、キャビアの味をどれだけ言葉で説明しても、キャビアを食べたことがない人にキャビアの味が伝わる保証はないのです。繰り返しになりますが、共同体感覚はあくまでも感覚なのです。

しかしだからといって『共同体感覚』について説明することが全くの無駄であるとは思いません。『共同体感覚』を「導きの星」として行動することの素晴らしさを、ほんの少しでも感じてもらうことができれば……あなたが「導きの星」を目指すきっかけになるかもしれないからです。

そこで今回は、共同体感覚を目指すとはどういうことか?について説明するという、とても困難なミッションに挑戦してみたいと思います。

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