なぜそう答えを急ぐのです?答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきものです。他者から与えられた答えはしょせん対症療法にすぎず、なんの価値もありません。
【出典:嫌われる勇気 p.40】
現代日本人は、答えを教えてもらうことが教育を受けることだと誤解しているのではないでしょうか。なぜそのような誤解が蔓延しているのかといえば、おそらく現代日本においては、教育がビジネスなってしまったことが大きな原因でしょう。ビジネスとは価値の交換です。お金を払うからには対価つまり「答え」を求めるのは、むしろ当然の権利だと主張したくなる気持ちはわかります。
しかし「本当の教育」とは、いたずらに知識を増やすだけでなく、過去に囚われず自分なりの答えを導き出す力を鍛えることなのです。とはいえ、なぜわざわざ自分の頭で考えなくてはならないのでしょうか?
ゼロベース思考
過去の情報をもとに答えにたどり着こうとする発想が原因論なのであれば、過去の情報に囚われないで未来の可能性を考えるのが目的論です。『嫌われる勇気』の読者にとっては常識かもしれませんが、わたしにとってはどこか既視感がありました。目的論に立脚するとは極論すればすなわち「ゼロベース思考」で発想することだからです。
これまでの常識に囚われずに発想することを巷では「ゼロベース思考」といいます。しかし「ゼロベース思考」というのは人間には不可能です。人間が目指すのはあくまでも「限りなくゼロベースに近い思考」であって、「ゼロベース思考」ではありません。
たとえば古典的な経済学(いわゆるミクロ経済学)では「経済人(ホモ・エコノミクス)」という概念が大前提になっています。経済人は極めて合理的な行動ができる人間のことで、古典的な経済学では、世の中には経済人しか存在しないと考えるのです。しかし現実の世の中において経済人は、むしろ少数派でしょう。経済学と現実の世界にギャップが生まれてしまう理由のひとつが、ここにあるのです。
そのため1970年代には経済学に心理学的手法を持ち込んだ『行動経済学』が誕生しました。たとえばダニエル・カーネマンらは、ひとは得をするよりも損することにずっと強い感情を抱く「プロスペクト理論」を提唱しました。
つまり経済学は「人間にはバイアスがないので合理的な行動ができる」という前提を放棄し、「人間にはバイアスがある」という前提で学問を発展させるために、心理学的な手法を取り入れて発展していったのです。その結果、素人の目には、経済学と心理学の垣根があいまいで区別がつきにくいものになっています。
しかも現在では、人間の思い込みつまりバイアスを「ビックデータ」として活用する予測モデルなどが当たり前になっています。ですから経済学や心理学をまさに実践しているのは、人間というよりもむしろコンピューターといっても過言ではない状況になっています。
たとえばミハル(マイケル)・コシンスキーというスタンフォード大学准教授によれば、フェイスブックの「いいね!」をコンピューターに読み込ませるだけで、そのデータだけでどのような人物なのか高い精度で予測できるそうです。
コシンスキー教授によれば・・・「このアルゴリズムを使えば10の『いいね!』で同僚よりも相手のことがよくわかるようになり、70の『いいね!』で友人のレベルを超え、150の『いいね!』で両親、250の『いいね!』で配偶者のレベルに達する」とのこと。
さて・・・ここまで読んだ方の多くが、心理学を独学することに意味があるのかわからなくなったのではないでしょうか。フロイトの精神分析も、アドラーの個人心理学は、いわば古典心理学です。自分の精神を分析したいなら、コンピューターに任せたほうが、ずっと高い精度でいろいろなことを予測できるのではないでしょうか?これから何をすべきかわからないなら自分の頭で考えるよりも、ChatGPTに質問したほうが早いのではないでしょうか?わざわざアドラー心理学を勉強する意味は、どこにあるのでしょうか?
わたしの結論は「人間が人間である以上、アドラー心理学を学ぶ必要性はある」です。なぜならば・・・
あなたを動かすもの
情報収集には乗り越えるべき壁がいくつもあります。まず情報収集する時点で「思い込み」があります。思い込みのために限られた範囲の情報しか収集していないのに、そのことを情報収集している本人が自覚できない・・・ということがあり得るのです。
しかも情報収集できる情報というものはすべて過去の情報です。その上、過去の情報を理解できるとは限らないし、理解できたとしても情報を活用できるかはまた別の話です。
たとえば「お金がほしい」という場合、ほとんどの人が無意識にお金とは「円」のことだと思い込んでいます。たとえばユーロとかドルを稼ぐという選択肢は、はじめから除外してしまうのです。
そして「●●が稼げる」という情報を入手したとしても、その情報は「過去に稼げた方法」ではあるかもしれませんが「これから稼げる方法」である保証はありません。
たとえばお金を稼ぐなにかしらの情報を入手して「ビットコイン」という情報を入手したとしても、ビットコインの仕組みや可能性を理解できるとは限らないし、理解できたとしても実際にビットコインに投資するかはまた別の話であるはずです。
もしあなたが「ビットコインって知ってる?」と友人に質問して、友人の10人中10人が「知らない」と答えるタイミングでビットコインの存在を把握したとして・・・あなたはビットコインについて徹底的に調べて仕組みや将来性を理解した上で、投資することができたでしょうか?
友人の10人中10人がビットコインを知らない段階で「ビットコイン儲かるよ?」と他人からアドバイスされたところで、ビットコインの将来性を説得されればされるほど「怪しい!」「何か裏があるのでは?」と判断する可能性が高いのではないでしょうか?
つまりわたしが伝えたいことは「説得されることと、納得することは違う」ということです。そして自分自身を納得させるためには、どうしても自分の頭で考える必要があるのです。
自分の頭で考えるとは?
ここまでの議論を踏まえてようやく「自分の頭で考える」ということに前向きになれる人も多いのではないでしょうか?とはいえ、多くの人が「自分の頭で考える」といわれても、どうすればいいかわからずに途方に暮れてしまうのではないでしょうか?一体、「自分の頭で考える」とはどういうことなのでしょうか?
もしあなたが『自分の頭で考える』ことに興味があるなら、わたしから伝えたいことは沢山あります。是非、『勇気づけドットコム』にて、たくさんのヒントを受け取ってください!
■ 「嫌われる勇気」に戻る

