「キスは唾液の交換」「結婚しても住むところは別々がいい」「セックスは汚いから嫌い」という社会学者の古市憲寿(ふるいち のりとし)さんの発言はたびたび注目を集めています。
古市さんの一連の発言を聞いた昭和生まれの人たちはドン引きするわけですが、平成生まれの若者たちのなかには、古市さんの発言に共感する人たちもいるでしょう。
なぜ若者たちは恋愛や性愛を避けるのでしょうか?おそらく根源的な原因は、「鉄の檻」による「没主体化」です。
没主体になった人間は、損得勘定を優先させる存在です。恋愛や性愛をビジネスマインドで捉えてしまうと、コストパフォーマンスやリスクマネジメントの観点から、恋愛も性愛もするべきではないという結論になってしまうのです。
とはいえ人間は孤独を感じる生き物です。人間同士で恋愛できないなら……テクノロジーの力を借りて「AIと恋愛を楽しむ」ことは可能でしょうか?
her/世界でひとつの彼女
これ以降の内容は、ネタバレも含みますのでご注意ください。
絆には傷を含む
『her/世界でひとつの彼女』を理解する上でのキーワードは「身体性を伴った記憶」です。
30年ほどにわたって、北九州の地でホームレス支援の活動をしているNPO法人抱樸の理事長・奥田知志さんは、「絆は傷を含んでいる」といいます。
そう。誰かと人間関係を営む以上、「いいとこどり」はできないのです。あなたに触れたいが、メンドクサイことには関わりたくないという態度は通用しないのです。
では主人公のセオドアに対して、AIでの恋愛が有効に機能しているように見えるのはなぜでしょうか?
その理由も「身体性を伴った記憶」というキーワードで説明ができます。セオドアがAIの恋人サマンサに『触れたい』と考えるのは、過去に誰かに触れたときの享楽を記憶から引っ張り出しているからです。
つまり「身体性を伴った記憶」がAIとの恋愛を楽しむ上での重要なリソースになっているのであって、「身体性を伴った記憶」がなければAIとの恋愛を楽しむことはできないのです。
社会の内と外
大規模定住社会を営む人間は、「合理性や計算可能性を重視しろ!」という強いプレッシャーに晒されています。しかし強いプレッシャーに晒され続けたら壊れてしまいます。
そのため「合理性や計算可能性を重視しろ!」という強いプレッシャーを緩和するための機能が必要です。たとえば「家族」がその機能を果たしてきました。
しかしカール・マルクスが喝破したように資本主義というシステムは、家族の機能すら破壊するパワーをもっています。たとえば「家族を想うとき」に登場するお父さんは、怪我をして仕事をするべきじゃないのに、家族の制止を振り切って仕事に向かおうとするのです。
『her/世界でひとつの彼女』の主人公セオドアも、「家族を想うとき」に登場するお父さんとずいぶん状況は違いますが、合理性や計算可能性を重視する世界(鉄の檻)から抜け出せないうちのひとりです。
没主体化となった人間に「ある」のは資本主義の基本である「所有欲」です。逆に没主体化となった人間に「ない」のは、恋愛する相手を幸せにするという発想です。
そう。愛は他の誰よりも相手を幸せにするゲームなのですが、セオドアにはそういう発想がまるでないし、相手を幸せにするスキルもないのです。相手を幸せにするスキルがなければどうなるでしょうか?
答えは映画「her/世界でひとつの彼女」のなかにあります。ぜひ鑑賞してください!
■ 社会を学べる映画集
