子どもが大人になるとは、他者たちと交流するなかで「試行錯誤」を繰り返し、「みんなはこういうことを『承認』するんだ」ということを学んで経験値を高め、「自分はたいてい大丈夫」という『尊厳』を得ていくことだ。
【引用:14歳からの社会学】
ところが今の社会で問題になっていることは……
みんなって誰のこと?
日本の学校では今でも「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」と教えています。しかし本当に子どもは「みんな仲良し」的な教えを信じてるでしょうか?
現実の学校ではイジメがあるし、「みんな仲良し」を教えている学校の教師が、同僚の先生をいじめている時代です。
こんなニュースを目にすれば、大人から「みんな仲良し」といわれても子どもは「そんなのタテマエだろう?」と感じてしまうでしょう。大人から「みんな仲良し」と教えられれば教えられるほど、子どもは社会にはホンネとタテマエがあることを実感するに違いありません。
しかし昭和30年代の日本では「みんな仲良し」がタテマエではなかったそうです。学校で教わった「みんな仲良し」は、あらゆる場所で通用しました。クラスメートは仲良し、となり近所の人もみんな仲良し。何かがあっても「みんなお互い様」で丸く収まっていたのです。
三丁目の夕日
昭和30年代といえば『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代です。
昔は、となり近所であれば、どの家にどんな人たちが住んでいて、どんな家族構成で、お父さんはどんな仕事をしているのか……ということまで、お互いにいろいろなことを知っていました。
同じ年頃の子どもたちはみんなで遊ぶのが当たり前で、大人も大人たちで軒先でよく世間話をしていました。
しかし現在は、同じマンションの隣の部屋に住んでいる人ですら何をしているかわからないし、そもそも顔も知らないということが珍しくありません。
昼間町を歩いていても、子どもが集団で遊んでいるのを見かけるのは下校中の小学生くらいのものです。大人が立ち話をしている光景を見ることもほとんどありません。
昭和30年代と現在との違いは、一体、何をもたらすのでしょうか?
昭和30年代は、「みんな」という言葉が誰から誰までを指しているのかイメージしやすかったのですが、今となっては「みんな」が誰だかわからなくなってしまっているのです。
「みんな」が誰だかわからなければ、試行錯誤を繰り返して尊厳を獲得できるチャンスが減ります。ですから尊厳の獲得リソースが不足する状態が構造的な問題である以上、尊厳がないことは「個人の問題」とは言い切れないのです。
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