近代天皇制は疑似的なパブリック・マインドを日本人にもたらしました。なぜ疑似的なのかといえば近代天皇制が担保するパブリックの範囲は「日本国内のみ」に限定されるからです。
戦後になると天皇が人間になります。この時点でパブリック・マインドの欠如が問題になるはずだったのですが、次なる国民的目標として「経済的豊かさ」が設定されたことにより事なきを得ます。しかし経済的豊かさという目標が達成されると、パブリック・マインドの欠如が、再び露出することになったのです。
そもそも国民的目標を「社会」のなかに設定している以上、その国民的目標には賞味期限があるのです。なぜ賞味期限があるのかといえば、国民的目標の実現のために努力すればするほど、国民的目標が失われるという逆説があるからです。
しかし残念なことに、大多数の日本人はそのことに気づきませんでした。
学びの共同体
ふたたび日本を「天皇を中心とする神の国」にすることができないとしても、否定された一君万民にかわる新しい近代的なパブリックを樹立する必要があったと思います。
ところが近代的なパブリックを樹立するかわりに日本で起こったのは、1970年代半ばから一挙に進んだ学校化でした。
そして家や地域を巻き込んだ「学びの共同体」の成立が、再び日本のパブリック・マインドの欠如を覆い隠してしまったのです。
ちなみに「学びの共同体」とはなんでしょうか?
東京大学名誉教授の佐藤学氏によれば、地域と家庭と学校が力を合わせ、一人一人の子どもの関心に応える授業づくりを目指すことなのだそうです。しかしこの「学びの共同体」は、矛盾をはらんでいます。
なぜならば「一人ひとりの子どもの関心に応える」という主張は、一見すると「何事も他人は他人」的な共生原理の価値観を重視しているようでありながら、家庭や地域の学校的価値観への一元化を放置しているからです。
佐藤学氏はこういいます。
個人の「自由」や「権利」は、何にもまして絶対的な価値をもつべきなのだろうか。(中略)
個人の「自由」と共同体の「善」が対立する場合には、共同体の「善」を尊重すべきだ。
学びの身体技法
個人の「自由」や「権利」よりも共同体の「善」を優先するべきだとしても、その共同体が「学校」しかないのであれば、子どもたちは学校の外で獲得できるはずの尊厳を失い、生きづらさを感じてしまうでしょう。
機会の平等から結果の平等へ
日本の学校教育は「平等教育」を重視しているけれど、そもそもの平等教育は「機会の平等」を意味していました。機会の平等とは、貧乏人でも勉強すれば東京大学に入れるチャンスを保証するという意味です。
しかしいつのまにか「機会の平等」ではなく「結果の平等」が重視されるようになりました。そのため運動会で順位をつけないという競争原理の否定をしているわけですが、その一方で全員が受験戦争に煽られるという二重構造が現在でも続いています。
尊厳のリソースが限られた状況下では、生きづらさを感じるのは当たり前です。しかし日本の学校では未だに「みんな仲良し」と指導しているのです。
もちろんみんなと仲良くできるなんて保証はどこにもありません。しかし日本では親も教師も共生原理を理解していません。
そのため「同じ学校の同じクラスのなかで、想像も及ばない感受性をもった他人が存在する以上、他人同士がお互いに侵害し合わずに生きればいい」という発想がどうしても出てこないのです。
とはいえ、自分と異なる感受性をもっている人たちが存在することは疑いようもない事実です。そこで日本では共生原理を「心の理解」で埋め合わせることにしたのです。
心の理解?
「心の理解」とは、心の理解で他者と同化できるとするゴリゴリの共同体主義的な思想のことです。
具体的には……仮に子どもとの関係性がうまくいけば「心の理解ができたからだ。これからも心の理解に努めよう」と結論づけ、逆に子どもとの関係性がうまくいかなければ「心の理解ができなかったからだ。もっと心の理解に努力しよう」と考える思想のことです。
「お互いに心を理解できれば、みんな仲良しでいられる」という発想は、共生原理と対立するものです。しかしいまだに日本では「心の理解」的なコミュニケーションがいたるところに蔓延っています。
たとえば荒井勝喜氏(岸田総理の元秘書官)がLGBTの方々に対する嫌悪感を口にしてしまった時、自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会は、「LGBT理解増進法」(正式名称:性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律)の法制化を進めていました。
「LGBT理解増進法」というネーミング自体が、「心の理解」という思想が生きている証拠であることにお気づきでしょうか?
LGBTの方々が求めているのは「理解増進」つまり「心の理解」などではなく、「同性婚」なのです。
しかし自民党は「心の理解」をアリバイにして多様性を推進しているフリをしつつ、かたくなに同性婚を認めようとはしないのです。
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