前回の講義では「コミュニケーションは因果性をたどれば底が抜けるしかない」という話をしましたが、実は社会学においてそのことは1950年代には自明でした。
とするなら「底が抜けている」ことを実感することなく一般人が生きることができたのはなぜでしょうか?その理由は「生活世界」があったからです。
生活社会 VS システム世界
生活社会とは、善意や内発性(内から湧き上がる力)が優位なコミュニケーション領域で、慣習やしきたりが支配しています。
その一方で生活社会ではない領域のことをシステム世界といいます。システム世界とは、役割やマニュアルが優位になるコミュニケーション領域です。
生活世界やシステム世界という言葉は耳慣れないかもしれませんが、目に見える違いを簡単にまとめると以下のようになります。
| 生活世界 | システム世界 | |
|---|---|---|
| 匿名性 | 記名的 | 匿名的 |
| 入れ替え可能性 | 不可能 | 可能 |
| 流動性 | 低 | 高 |
| 感情的安全 | 高 | 低 |
つまり役割をマニュアル通り演じられれば誰でも構わないのがシステム世界であり、ファミレス的なものが典型です。多人種構成のアメリカ社会におけるマネジメントから出てきたノウハウで、グローバル化に適しているので一挙に世界各地で普及しました。
たとえばUber Eatsはアメリカ発のサービスですが、配達員用に提供されるアプリの仕様は全世界で共通です。そのため日本語で登録すると、配達員のアプリには注文者のファーストネームが表示されます。
たとえば注文者が「田中一郎」と登録すると、配達員向けのアプリには「一郎 田」と表示されます。そのためアメリカ式にお客様をファーストネームで呼ぶ習慣のない日本人配達員は、時に気まずい思いをしなければなりません。
一方で生活世界は地元商店街的なものです。ファミレスやコンビニやUber Eatsと違って店で立ち話が生じ、「もっとまけてよ?(客)」、「もってけ、どろぼう(店)」のようなコミュニケーションがある世界です。
生活世界にはマニュアルがありません。ですからシステム世界に比べて予測不可能性や計算可能性が低い世界ですし、誰にでも開かれているわけでもありません。しかしコミュニケーションの積み重ねが信頼につながるため、感情的安全が高いのも特徴の一つです。
日本近代化の歴史
さて、日本ではどのようにして生活世界からシステム世界への移行してきたのでしょうか?
家族の空洞化
1984年には、70年代から少しずつ広がりつつあったダイクマとかロヂャースといったロードサイドショップに注目が集まりました。理由は、NIES諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール)で製造された白黒テレビが2万円台、カラーテレビが4万円台で購入できるようになったからです。
結果、1984年からはテレビが一家に一台の時代が終わり、テレビが個室化するようになりました。そのためお茶の間で家族がみんな揃って見ることを前提にしたクイズ番組と歌謡番組が廃れます。(『ザ・ベストテン』は1987年に打ち切り)
また1985年には電電公社が民営化され、多機能電話が販売されたことで、テレビの個室化に続いて電話の個室化が進みます。その結果、子ども部屋を含めた家族の個室に子機が置かれるのが当たり前になりました。
その後ポケベルが誕生し、現在では小学生でもスマートフォンをもつのが当たり前になっていることは、あなたもご存知の通りです。
地域の空洞化
セブンイレブンは1982年はPOS(リアルタイム在庫管理システム)を導入し、1986年には全店POS化が完了します。
そしてコンビニが宅配・DPE(写真の現像・焼き付け・引き伸ばし)・チケットサービス・公共料金支払いサービスを請け負うようになり、地域の情報ターミナルになります。
1982年から1986年のわずか5年間で全国のコンビニ数は倍近くに増加し、1985年には『ケイコさんのいなり寿司』編というセブンイレブンのCMが話題になります。「開いてて良かったシリーズ」の第一です。
さらに1994年5月には消費者利益保護という旗印で、大規模小売店舗法の規制緩和がなされ、地方の商店街が壊滅的な被害を被(こうむ)りました。
以上、日本では1980年代半ばから家族のコミュニケーションが希薄になり、Eメールと宅配があれば、どこにも行かず、誰とも会わずに暮らせるような環境が整ってきたわけです。
他方で1970年代以降、家庭や地域の「学校化」が進んだことが、日本人にとっては大変な出来事でした。
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