日本的「学校化」

外資系投資銀行出身の作家、藤沢数希氏の「コスパで考える学歴攻略法」(新潮新書)が、中学受験をする子どもをもつ親たちに衝撃を与えているようです。

藤沢数希氏によれば、大手受験塾「SAPIX」(首都圏の最難関中学に生徒を多数輩出していることで知られる)出身者における将来卒業する大学の中央値が、いわゆるMARCH(明治、青学、立教、中央、法政)に届かないそうなのです。

子どもを塾に通わせるためにいくら必要なのでしょうか?大手の中学受験塾の場合、小学3年生の終わりから入塾して受験までにおよそ300万円ほどかかるそうで、家庭教師をつけるとさらにかかるそうです。

大金をはたいて子どもを小学3生から私立に入れたとしても、東大、京大をはじめとする国立や医学部とはいわないまでも、「早稲田、慶応くらいには進学してほしい」という親の切なる願いは、叶わないかもしれないのです。

そもそも日本ではいつから子どもの塾通いが当たり前になったのでしょうか?

アノミーの産物

日本では1960年代に「モノの豊かさ」を達成し、家族にとって何が良きことなのかわからなくなりました。このアノミー(目的の喪失)を埋めたのが、「(日本的)学校化」でした。

本来「学校化」とは、オーストリア、ウィーン生まれの哲学者・社会評論家のイヴァン・イリイチの造語です。すべての人間に学校を通過させることで、近代的価値を浸透させるという意味でした。

しかし大学が階層原理として機能している日本においては、「子どもをよい学校に入れさえすれば良いのだ」という発想が、富裕層だけでなく、全階層に広がっていきました。

kaisou 日本の階層原理

総務省の統計では、家計に占める教育費の割合や塾通いの比率が1975年から急増します。結果どうなったのかといえば……

日本的学校化の大問題

はるか昔のことですが、わたしもSAPIXで塾講師のアルバイトをしていたことがあります。わたしの担当していたクラスは、4年生のA・B・Cでした。

A・B・Cクラスといえば、SAPIXのなかでも一番学力が低い子どもたちが集まるクラスです。D・E・Fとアルファベットが進むごとに学力が高い子どもたちが集まる仕組みになっていました。

わたしが塾講師のアルバイトをはじめた当初、「Zクラスは難関中学を目指すのだろうな」と漠然と考えていたのですが、すぐにアルファベットのクラスよりさらに上にはα(アルファ)といったクラスがあることを知り唖然としました。

ちなみにわたしの友人は6年生のα(アルファ)コースで教えていたのですが、テキストを見せてもらうと難易度が段違いで「大学の授業を乗り切るほうがはるかに簡単」と確信したことが、今でも記憶に残っています。

少し脱線しましたが、わたしが伝えたいことは、日本の小学生は細かくクラス分けされることに慣れており、細分化されることがナナメの階層を生み出し、結果として「誰と団結すればいいかわからない問題」に結びつく……ということを確認したかったのです。

sabetsu ナナメの階層がもたらす差別

しかし今回言及したいことは、個人としての尊厳にかかわる問題です。

尊厳獲得のリソース不足

かつて学校と家と地域には、それぞれ別の原則がありました。学校で勉強ができなくても、家業を継げばいいとか、結婚すればいいという価値観がありました。

しかし日本的学校化以降は、学校だけでなく家でも地域でも、成績や進学実績のことしか評判にならなくなります。結果、子どもにとっては、尊厳の調達先が「偏差値」だけになりました。

勉強が得意でない子どもたちにとっては、尊厳の調達先がなくなるという深刻な問題が発生しました。

その一方で、勉強が得意な子どもたちにとっては、学校でちょっと成績がいい程度のことで、学校でも家庭でも地域でも全面的に肯定される「危ない状況」が生まれてしまったのです。

勉強ができるだけで全面的に肯定される状況が、なぜ「危ない」のでしょうか?

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