世界と社会

前回講義では、「社会」に言及するだけでは「一寸先は闇」の現実に対処することができないことに触れましたが、「社会」と「一寸先は闇」について、もう少し掘り下げておきましょう。

コミュニケーションできるのは誰か?

近代社会を生きるわたしたちにとって、日常のコミュニケーションで相手になるのは「人間だけ」と考えます。そのほかの動物や、木や、石や、水、つまり「自然」は、コミュニケーションの対象外になります。

そこで社会システム理論では「コミュニケーションできるものの全体」を『社会』といい、「ありとあらゆる全体」を『世界』と表現します。

しかしはじめから『社会』と『世界』の概念がそれぞれ存在していたわけではありません。最古の社会(原初的共同体)では、「社会=世界」でした。

「社会=世界」は面識圏(顔見知りの範囲)であり、なおかつ「昨日あったように今日もあり、明日もあろうだろう」といった慣れ親しみに満ちている状態です。

ところが「社会」が複雑になって面識圏を超え、「社会」の外に「社会」に属さない「世界」が広がっていると信じられるようになると、こうした「慣れ親しみ」は消えて、それまでの「社会」ではありそうもなかったことを「信頼」するようになります。

匿名者を信頼できるか?

ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは、原初共同体から階層的に分化した「高度な社会」を経て、機能的に分化した「近代社会」に至ったと記述します。

つまり「慣れ親しみ」が優位の原初的共同体ではなく、見知らぬ匿名者に対して役割ゆえに「信頼」を与えることが「近代社会」を生きるということなのです。

たとえば外食で注文した料理に「唾が入っている」なんてことは疑わないし、料理のデリバリーを注文したら「つまみ食い」されているなんて疑わずに信頼して生きることが「近代社会」を生きるということなのです。

とはいえ「慣れ親しみ」が優位の原初的共同体的な価値観からすれば、見知らぬ匿名者に対して信頼を与えるなんて「ありそうもない」ことです。

なぜならば……複雑な社会(近代社会)におけるコミュニケーションは、因果性をたどれば「底が抜ける」しかないからです。

吉幾三問題

上京したてのころ吉幾三は、喫茶店でバイトしていたのですが、店長不在の時に「ウィンナーコーヒー」を注文されて困ってしまいました。

「ウィンナーコーヒー」がわからなかった吉幾三は、炒めたウィンナーをコーヒーに付け合わせてお客さんに提供しました。お客さんはパクパク食べて帰っていったそうです。もちろんウィンナーコーヒーとは、コーヒーの上にふんわりと泡立てたクリームをトッピングした飲み物のことです。

あとで店長が指摘したから笑い話で終わったものの、指摘がなかったら今でも吉幾三はウィンナーとコーヒーのことだと思っていたでしょうし、客に至っては今でもそう思っている可能性があります。

あるコミュニケーションが意味をもつのは、別のコミュニケーションを文脈的に参照するからですが、その別のコミュニケーションが意味をもつのも、さらに別のコミュニケーションを文脈的に参照するからです。

というふうにずっと遡(さかのぼ)ると、コミュニケーションは時間的には終わりがなくなるため、コミュニケーションは因果性をたどれば「底が抜ける」しかないのです。

人類は月にいったのか?

コミュニケーションは因果性をたどれば「底が抜ける」しかないことは、社会全般に当てはまる問題です。たとえば地球は丸いのでしょうか?人類は本当に月面着陸を果たしたのでしょうか?

ほとんどの人が地球を宇宙から眺めてみたことがないはずです。もちろん月に行ったこともないでしょう。である以上、人類は本当に月に行ったのでしょうか?

インターネットで調べると、「地球は丸くない!」と主張する人たちや、「人類は月に行っていない!」と主張する人たちが存在しますが、コミュニケーションが因果性をたどれば「底が抜ける」しかない以上、わたしたちは永遠に真実にはたどり着けないのです。

「真実はわかりません」といいましたが、真実がわからないのは冷静になって考えてみれば怖いことです。

地球は丸いのか?とか、人類は本当に月面着陸を果たしたのか?という問題は、わたしたちが社会を生きる上で「どうでもいい問題」かもしれませんが、「どうでもいい問題」ばかりとは限らないからです。

あなたは誰ですか?

東京都目黒区のタワーマンションの一室に宅配業者を装って押し入って、現金600万円を奪った事件がありましたが、「宅配業者」と信頼していた人たちが「強盗」だなんて恐怖でしかありません。

時には本物の宅配業者が犯罪を犯すこともあります。

また映画「クリーピー 偽りの隣人」では、隣に住んでいる家族が家族ではなかった……という衝撃的な展開が待っていました。

creepy クリーピー 偽りの隣人 ~ 平凡な結婚生活にモヤモヤする理由は?

わたしたちは少し探求するだけですぐに「底が抜けて」しまうにもかかわらず、かろうじて「ありそうもない」前提を互いに踏まえたつもりになって社会生活を営んでいるのです。

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