そもそも自己啓発とは?

自己啓発の源流「アドラー」の教え

【出典:嫌われる勇気 表紙】

『自己啓発の源流「アドラー」の教え』という文言が、『嫌われる勇気』の表紙には赤文字でハッキリと強調されているのですが・・・そもそも「自己啓発」とはなんでしょうか?

自己啓発に至るまで

日本で「自己啓発」がはじめて流行したのは、わたしが知る限り1970年代の後半です。当時は『アウェアネス・トレーニング』と呼ばれており、すでに社会的に成功したいわゆる『エリート』を中心に広まりました。

なぜ「自己啓発」が1970年代の後半にひろがり、「自己啓発」に興味をもったのが「エリート」だったのでしょうか?ちょっと脱線しますが、いい機会なので説明しておきましょう。

歴史を振り返れば・・・高学歴の若者の興味の対象は「政治の季節」(60年代後半)、「アングラ(アンダーグラウンド)の季節」(70年代前半)、「カタログの季節」(70年代中ごろ)、「性と舞台装置の季節」(70年代後半)と移ろっていきます。(いずれも社会学者の宮台真司先生の用語)

簡単に補足しておくと、「政治の季節」の中心にあったのは全共闘運動でした。高学歴の若者の主要な関心事は政治であり、理想的な社会を築くためには政治的な活動が不可欠だと信じられていたのです。

しかし政治活動が挫折すると、高学歴の若者の関心は、現実よりもアングラ(観念の世界)に向かいます。理想的な社会を築くために現実を変えようとしたのですが挫折したので、次はアングラ演劇などに興味関心が移っていったのです。

その後は、現実を観念の世界に読み替える営みがブームになります。たとえば植草甚一編集の『宝島 全都市カタログ』(1975年11月号)には、以下のような記述があります。

「全都市カタログ」は、地球と気持ちのいいセックスをしたい、あるいは、エクスタシーを知りたいと願うすべての仲間のためにつくられている。地球との性行為は、激しく、かつハイな状態で行わなければならない。そうすることによって、その気持ちのよさは言語に絶するものとなるはずだ。このカタログは、そのときに役立つであろうものを、ぼくたちの設定したいくつかの基準のもとに選びだし、分類したものに、一人称による独自の評価を加えたものである。

【出典:宝島1975年11月号】

カタログ雑誌とは、見慣れた目の前にある現実を読みかえるためのツールです。「理想の場所」を現実の世界(北朝鮮・キューバー)にも観念の世界(演劇などの世界)にも見つけることができなかったので、現実と観念のハイブリット戦略が持ち出されたというわけです。

いまでも小説・映画・ドラマのロケ地に観光に行くことを「聖地巡礼」といいますが、これも現実と観念のハイブリット戦略のひとつでしょう。「聖地巡礼」というと大げさな印象を受けるかもしれませんが、「聖地」は「理想の場所」であり、ある種のエクスタシーをもたらしてくれるという意味で、うまい表現だと思います。

さて・・・「カタログの季節」のあとにやってくるのが「性と舞台装置の季節」です。カタログ雑誌の『ポパイ』が、77年10月に突然方針転換し、デートマニュアルとタウンマップを結び付けた雑誌になったのがきっかけです。サーファーブーム、ディスコブーム、テニスブーム、ペンションブーム、スキーブームをもたらした「性と舞台装置の季節」の到来です。

自己啓発の源流

これまでの議論を踏まえれば、エリートはいろいろなことに挑戦してきたことがわかります。勉強、政治、アングラ、カタログ、性愛・・・いろいろやってみたところで「理想の場所」に到達できないのであれば、次はどうすればよいのでしょうか?

エリートになったのに、社会的にも成功したのに、言語に絶する気持ちよさが手に入らない」ことに悩むエリートたちは、鬱屈した気持ちの原因を周囲(政治・文化・街・恋人)ではなく、自分に向けることにしたのです。これまでの文脈に沿っていうなら、自己改造によって見慣れた目の前にある現実を読みかえようとしたわけです。

つまり自己改造の手段として用いられたのが、『アウェアネス・トレーニング』だったわけです。『アウェアネス・トレーニング』とはなんでしょうか?『アウェアネス・トレーニング』の目的は、ひらたくいうと、潜在意識の書き換えです。書き換える潜在意識は、流派によってゲシュタルト、フレーム、スクリプト、マインドセット、神経言語プログラミングなどと呼ばれています。

たとえば神経言語プログラミングでは、わたしたちは無意識のうちに、世界を自分なりの「フレーム(額縁)」で見ていると考えます。わたしたちの目に前にある世界はあまりにも複雑で、脳のかぎられた認知能力ではすべての情報を処理できません。そこでフレームの位置を動かすことで、人の認知や感情に影響を及ぼそうとするわけです。

そして『アウェアネス・トレーニング』をさかのぼれば、マズローのトランスパーソナル心理学や、グループプロセス(エンカウンターや演劇療法など)に行きつき、それらを更にさかのぼれば、アドラー心理学に行きつきます。たとえばマズローは、アドラー主催の討論会(金曜日の夜にグラマシー・パーク・ホテルで開催)の常連でした。

岸見一郎先生は、「アドラー心理学は宝の山」と主張しているのですが、わたし自身、アドラー心理学以外の精神分析や心理学を勉強するたびに、既視感があるのはそのためでしょう。

■ 「嫌われる勇気」に戻る

嫌われる勇気を一緒に読もう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です