アドラーが映画館に足繫く通った理由

わたしの人生が一本の長編映画だとした場合、主人公は間違いなく「わたし」なのですよ?主人公にカメラを向けることがそんなに糾弾されるべきことなのですか?

【出典:嫌われる勇気 p.184】

アドラーは空いた時間には、映画館に足しげく通っていたそうです。その目的は……

アメリカに移ったアドラーが拠点としたのはニューヨークでしたが、空いた時間には映画館に足繁く通いました。スクリーンで演じられる人間模様に関心があったのです。これはリラックスするためでもあり、どの都市にいても一日の仕事が終わればカフェに行ったり、映画館に通っていました。どんな映画であろうと、有名であろうとなかろうとよかったようです。

【出典:アドラー心理学入門】

アドラーは映画鑑賞において人間模様に着目していたので、鑑賞する映画が有名かどうかは気にしなかったようです。わたしもアドラーに習って、毎日映画やドラマを鑑賞する時間をつくっています。

もちろんアドラーと同様に、人間関係に着目するためです。人間関係に着目して映画を鑑賞すると、いろいろな発見があります。そしてたくさんの映画を鑑賞しているうちに、人間関係のパターンのようなものが見えてくるようになります。自分の人間関係について考える上でも参考になっているのですが、今回あなたに伝えたいことは別にあります。

ここからが本題です。

わたしはある日「書籍よりも映画のほうが経験を共有しやすい」ことに気づきました。書籍は活字なので、映像にはマネできないほど細かく人間の心理を描写できるというメリットがあるものの、臨場感という面では映画に分があるからです。

臨場感とは、世界観を体感できる度合いのことです。活字から情報を読み取ってアレコレと想像するよりも、映像で表現してくれたほうが理解しやすいのです。もちろんわかりやすい分、小説の原作を映画にすれば、小説の原作ファンから「違う!」と批判されるリスクもあります。

つまり活字(書籍)の場合は、読者それぞれが世界観を構築する余白が大きいけれど、その一方で映像(映画)の場合は、鑑賞者それぞれで体感している世界観がほとんど同じなので、経験をシェアしやすいのです。あなたも同じ映画を鑑賞した人と、映画の感想を語り合った経験があるのではないでしょうか?

映画のもつ「経験をシェアしやすい」という利点を活かすと、ものすごいことができます。たとえば「アドラー心理学の『今ここを生きる』という概念は、この映画を観ればわかります」というようなコミュニケーションが可能になるのです。

わたしが伝えたいことを伝えるためにゼロから映像作品をつくるのは、いまのところほとんど不可能です。しかしすでに存在している映像作品を利用できるのであれば、一気に可能性が広がります。あなたもご存知のとおり、現代ほど手軽に映像作品を視聴できる時代はありません!

わたしは伝えたいことを伝えるために、すでに公開されている映像作品を利用することにしました。純粋にゼロベースで映像を楽しみたい方にとっては邪道かもしれません。

しかし映画のもつ「経験をシェアしやすい」というメリットは、やはり捨てがたいものがありますので、わたしが鑑賞した映像作品の中からアドラー心理学への理解を深めることのできる作品を紹介することにしました。学習を進めていくと、映画を紹介するコンテンツに出会うはずです。

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