いえ、弟子ではありません。よく誤解されるのですが、ここは明確に否定しておかねばならないところです。アドラーとフロイトは比較的年齢が近かったこともあり、対等な研究者として関係を結んでいました。
【出典:嫌われる勇気 p.22】
アドラーはフロイトの弟子ではなく、対等な研修者としての関係を結んでいたというものの、証拠はあるのでしょうか?
アドラーの怒り
フロイトとアドラーは仲が悪いことで有名です。フロイトはアドラーの葬式の弔辞のときでさえ、アドラーを攻撃しています。詳しくは以下の記事を参考にして下さい。
またアドラーもフロイトに対してポジティブな感情をもっていなかったようです。たとえばアドラーがアメリカに拠点を移して活動をスタートさせた最初の数年間は、多くの新聞と雑誌が「アドラーはフロイトの右腕であり使者であり、性的な自由の福音を広めようとしている」などと報じていました。アドラーはこのことに激怒していたそうです。
また「欲求階層説(欲求5段階説)」で有名なアブラハム・マズローと交流のあったアドラーは、マズローから何気なくアドラーが以前フロイトの弟子だったことを意味する質問をされたことで、突然、顔を赤らめてひどく怒ったそうです。
さらにアドラーは、アメリカで出会った「相対性理論」などで有名な物理学者のアインシュタインから「個人心理学はフロイトの精神分析は同様に価値がある」と評価され、ひどく落ち込んでだそうです。アドラーにとっては、個人心理学が精神分析と同列に語られるだけでも不快なことだったのでしょう。
そもそも「アドラーはフロイトの弟子」という話の出処は、どこにあるのでしょうか?
噂の出所と真相
1914年の論文「精神分析運動の歴史について」の中でフロイトは・・・初期の崇拝者の一団が精神分析を教えてほしいと求め、そしてその中にアルフレッド・アドラーもいた・・・と語っています。つまり「アドラーはフロイトの弟子」という話を言いふらしていたのは、フロイト自身だったのです。
その一方でアドラーの主張としては・・・アドラーはフロイトと出会う前から独立した医師であり研究者だったのであって、フロイトの弟子であった事実はない・・・というものです。「アドラーはフロイトの弟子である」という主張は、アドラーから言わせれば、フロイトのでっち上げでしかなかったのです。
アドラーは「フロイトの弟子ではない」ことの証拠として、フロイトからもらった手紙を残しています。
1902年11月2日
拝啓私の同僚や弟子たちの小さなサークルによる楽しい会合が週一回、夜8時半から私の自宅で開かれています。そこでは私たちの関心事である心理学、神経病理学などのテーマが論議されています。私の知人のライトラー、マックス・カーネ、シュテーケルがいます。私たちとご一緒していただけませんか。次の木曜日に予定しています。おいでになりたいかどうか、その日のご都合かよろしいかどうか、良い御返事を期待しております。
あなたの友より心を込めて【出典:初めてのアドラー心理学】
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